「月岡芳年」の版間の差分
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[[画像:yamatoshinbun3.jpg|150px|thumbnail|[[月岡芳年]]作「近世人物誌」より『'''[[花井お梅]]'''』。[[やまと新聞]]1887年(明治20年)8月20日発行。263号附録]] | |||
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*「狂画家」「血まみれ芳年」などと呼ばれていた。 | *「狂画家」「血まみれ芳年」などと呼ばれていた。 | ||
*[[伊藤晴雨]]が『奥州安達が原ひとつ家の図』を参考に妻を吊して写真にする。 | *[[伊藤晴雨]]が『奥州安達が原ひとつ家の図』を参考に妻を吊して写真にする。 | ||
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つきおか よしとし、1839年(天保10年)3月17日 - 1892年(明治25年)6月9日。江戸時代末期から明治時代初めに活躍した歌川派の浮世絵師。1885年(明治18年)に発表した『奥州安達が原ひとつ家の図』は伊藤晴雨などに影響を与えた。
概要
江戸時代末期から明治時代初めに活躍した歌川派の浮世絵師。1885年(明治18年)に発表した『奥州安達が原ひとつ家の図』は伊藤晴雨などに影響を与えたと言われている。
別名
Yoshitoshi Tsukioka, 吉岡米次郎(本名)、玉桜、大蘇、魁斎
略歴
1839年(天保10年)3月17日、誕生。
1866年(慶応2年)、落合芳幾と月岡芳年との競作『英名二十八衆句』が大人気に。
1875年(明治8年)、「錦絵新聞」の初期の1つ、『郵便報知新聞』の錦絵を担当[1]。
1885年(明治18年)、『奥州安達が原ひとつ家の図』を発表。逆さ吊りの代表的作品。
1886年(明治17年)10月12日、やまと新聞付録に月岡芳年が錦絵新聞の『近世人物誌』を連載開始。
1892年(明治25年)6月9日、永眠。
2012年(平成24年)10月2日〜11月25日、『没後120年記念 月岡芳年』於:太田記念美術館
エピソード
- 父は旧幕府の御家人[2]。
- 落合芳幾は兄弟子。
- 弟子に水野年方。その弟子が鏑木清方。さらにその弟子が伊藤深水。
- 「狂画家」「血まみれ芳年」などと呼ばれていた。
- 伊藤晴雨が『奥州安達が原ひとつ家の図』を参考に妻を吊して写真にする。
- 芥川龍之介、谷崎潤一郎、三島由紀夫、江戸川乱歩、横尾忠則が絶賛。
- 伊藤晴雨『其の頃を語る(三) 明治期の被縛画家』奇譚クラブ1953年(昭和28年)8月号, p28で解説されている。
代表作
『奥州安達が原ひとつ家の図』[注 1]
関連図書
- 別冊太陽『月岡芳年 幕末・明治を生きた奇才浮世絵師』(平凡社, 2012.5)
引用文献
注釈
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