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'''はやかわ よしかず'''、1949年(昭和24年)-
'''はやかわ よしかず'''、1949年(昭和24年)1月20日-


==活動内容==
==概要==
緊縛師。
編集者。緊縛師。


==別名==
==別名==
[[髭]]、髭の編集長、夢村寛、[http://www.nawapedia.com/index.php?title=Yoshikazu_Hayakawa Yoshikazu Hayakawa]
[[髭]]、髭の編集長、[[夢村寛]]、[http://www.nawapedia.com/index.php?title=Yoshikazu_Hayakawa Yoshikazu Hayakawa]


==略歴==
==略歴==
1962年(昭和37年)頃、[[風俗奇譚]]を知り、SMに興味をもつ。
1949年(昭和24年)1月、呉服屋の長男として生まれる<ref name="note">[https://note.mu/higesm note]より</ref>。


1968年(昭和43年)頃、交際中の女性を初めて縛る。
1962年(昭和37年)頃、[[風俗奇譚]]を知り、SMに興味をもつ<ref name="MsA">Ms. Aによるインタビュー(2010)</ref>。


1972年(昭和47年)、大学を卒業<ref group="">卒業研究はGeorges Batailleを中心としたエロス研究。</ref>して[[三崎書房]]に入社<ref group="注">入社時の社長は林。</ref>。[[えろちか]]の編集を担当。
1967年(昭和42年)頃、専修大学経営学科に入学。しばらくして和光大学に転学<ref name="note"></ref>。


1973年(昭和48年)4月、[[えろちか]]の休刊後、『幻想と怪奇』の創刊編集長(編集顧問は荒俣宏)。創刊号は[[三崎書房]]から出版されたが、創刊当日に[[三崎書房]]が倒産。その後は歳月社<ref group="">[[三崎書房]]の印刷を担当していた。[[三崎書房]]の債権者でもあった。</ref>が引き継いでで発行。1974年(昭和49年)10月の12号まで続く。早川は11号で歳月社をやめた。
1968年(昭和43年)頃、交際中の女性を初めて縛る<ref name="MsA"></ref>


1974年(昭和49年)[[平田明]]の誘いで[[司書房]]に入社。「[[別冊SMファン]]」デスク、さらに竹書房の「ギャンブル・パンチ」デスク、「近代麻雀オリジナル」創刊編集長などを歴任。
1972年(昭和47年)、大学を卒業<ref group="注">卒業研究はGeorges Batailleを中心としたエロス研究。</ref>して[[三崎書房]]に入社<ref group="注">入社時の社長は[[林宗宏]][[中田雅久]]も編集長として在籍していた。林は[[三崎書房]]の倒産後、『'''[[Pジャンク]]'''』の発刊などにかかわっていた模様。</ref>。『[[セクシカ]]』『[[えろちか]]』の編集を担当。


(1970年代後半、[[平田明]][[司書房]]を辞して経済関係の新聞社に転職。その後、[[大洋図書]]から空席になった[[ミリオン出版]]の社長に呼ばれる。所長の後に須藤を呼び寄せ、漫画雑誌を創っていたが、そのうちSMを始める。浅田と松本は残っていたが、[[司書房]]の編集部長だった石川精亨と意見が合わず、[[三和出版]]の名義をもらって外に出る。さらに[[三和出版]]が分裂し、松本が三和に残り、浅田が出て行き[[三和出版]])。
1973年(昭和48年)3月、『[[えろちか]]』 が休刊したため、新しく『'''[[幻想と怪奇]]'''』の創刊編集長(編集顧問は[[荒俣宏]])となるが、創刊号発刊と共に[[三崎書房]]が倒産。2号からは[[歳月社]]<ref group="注">[[三崎書房]]の印刷を担当していた。[[三崎書房]]の債権者でもあった。</ref>が引き継いでで発行し、[[早川佳克]]も[[歳月社]]に移る。『'''[[幻想と怪奇]]'''』は1974年(昭和49年)10月の通巻12号まで続くが、[[早川佳克]]は通巻11号で[[歳月社]]をやめた<ref name="MsA"></ref>。


1980年(昭和55年)、[[ミリオン出版]]に入社。「[[S&Mスナイパー]]」編集長、「[[別冊スナイパー]]」創刊編集長となる。この頃から、「髭の編集長」と呼ばれる。
1974年(昭和49年)、[[歳月社]]時代、[[荒俣宏]][[鏡明]]に面白い本だと[[SMキング]]を紹介される<ref name="note"></ref>。


1983年(昭和58年)、「S&Mスナイパー」9月号より、「髭の交遊録」連載開始。
1974年(昭和49年)、[[小悪征夫]]の紹介で[[司書房]]に入社<ref group="注">入社後、当時編集長であった[[平田明]]を知る</ref>。「[[別冊SMファン]]」デスクに2年半程。この時の「[[別冊SMファン]]」のデスクに[[須藤将史]]がおり、親密になる<ref name="rukei">[[早川佳克]]『'''流刑されたSM誌'''』[[フォトスナイパー]]1988年(昭和63年)4月号</ref>。さらに[[竹書房]]の「ギャンブル・パンチ」デスク、「近代麻雀オリジナル」創刊編集長などを歴任。


(真宮寺(小西洋)の縛りは荒木が気に入っていた。)
1978年(昭和53年)、[[竹書房]]の「近代麻雀臨増」の編集長<ref name="note"></ref>。


1984年(昭和59年)[[ミリオン出版]]編集局長となるが退職してフリー編集者となる。「フランス書院文庫」「トマト・ノベルス」の出版に関わる<ref group="注">スナイパー時代に知り合ったSM作家をこれらの文庫本に売り込む。</ref>
1979年(昭和54年)、「[[S&Mスナイパー]]」9月創刊号より[[夢村寛]]の名前で『'''[[SMモニター]]'''』シリーズの連載開始。挿絵は[[鬼頭暁]]。


1991年(平成3年)、「髭のサロン」を開催し、[[S&Mスナイパー]]にも「髭のサロン」の連載を開始。編集プロダクション(有)ソーマ設立。
1980年(昭和55年)、[[ミリオン出版]]に入社。4月の「[[小説S&Mスナイパー]](後に[[別冊S&Mスナイパー]])」創刊編集長となる。「[[S&Mスナイパー]]」5月号より編集長。この頃から、「髭の編集長」と呼ばれる。


1996年(平成8年)、パソコン通信のパティオ開設。
1980年(昭和55年)、[[関和子]]との交遊が始まる<ref name="淑女録3">[[早川佳克]][https://note.com/higesm/n/nd00a154b8998 淑女録3『女王たらし①和江』]</ref>。


1999年(平成11年)、ウェブ・ページ「髭のサロン」開設。
1982年(昭和57年)、「[[S&Mスナイパー]]」6月号で編集長をやめ[[古本喜彦]]に交代。


2001年(平成13年)10月、六本木にSMラウンジ「mugen」を開店。
1983年(昭和58年)、「[[別冊S&Mスナイパー]]」6月号で編集長をやめ[[中原冬一朗]]に交代。


2006年、ソーマ解散。mugen閉店。
1983年(昭和58年)、[[ミリオン出版]]編集局長となる<ref name="RUPO7">[[早川舞]]『'''そのとき歴史が鞭打たれた 第7回  SM誌の新世界を切り拓いた男'''』[http://www.repo-zine.com/ レポ]2011年(平成23年) No. 7</ref>。「S&Mスナイパー」9月号より、「'''[[髭の交遊録]]'''」「'''髭の調教教程'''」連載開始。


2006年(平成18年)10月3日、女王様スナック「なかむら」<ref group="note">[[中村あけみ]]が経営する女王様スナックで、新宿区舟町(四谷三丁目駅近く)に2009年まであった。</ref>を根拠として「髭のサロン」の活動を再開。
1984年(昭和59年)、[[ミリオン出版]]を退職してフリー編集者となる。「フランス書院文庫」「トマト・ノベルス」の出版に関わる<ref group="">スナイパー時代に知り合ったSM作家をこれらの文庫本に売り込む。</ref>


2009年(平成21年)12月25日、「なかむら」の閉店にともない、「髭のサロン」の活動を新し場所に移す。
1991年(平成3年)、「[[髭のサロン]]」を開催し、[[S&Mスナイパー]]にも「[[髭のサロン]]」の連載を開始。編集プロダクション(有)[[ソーマ]]設立。
 
1991年(平成3年)8月1日、『'''S&Mマニアライフ'''』(大洋図書)で特集。
 
1992年(平成4年)7月、『'''[[SMスピリッツ]]'''』(旧「[[別冊S&Mスナイパー]]」)の編集長を[[安倍遼次郎]]から交代。1993年(平成5年)10月の終刊号まで。
 
1996年(平成8年)8月、[[早川佳克]]が[[パソコン通信]]の'''NIFTY-Serve'''にパティオ開設<ref group="注">実質の運営は『〜』(ニョロ)が担当。</ref>。
 
1999年(平成11年)、[[早川佳克]]が[[インターネット]]に「[[髭のサロン]]」開設([[泉屋]]のサブチャンネル上)。
 
1999年(平成11年)10月15日、[[S&Mスナイパー]]の連載「'''[[髭のサロン]]'''」の100回を記念して『'''調教王II'''』([[ミリオンムック]]88)が[[ワイレア出版]]から発刊。
 
2001年(平成13年)10月20日、「mugen on the web」HP開設([[泉屋]]のサブチャンネル上)。
 
2001年(平成13年)10月25日、六本木にSMラウンジ「[[Mugen]]」を開店。
 
2001年(平成13年)12月5日、「[[Mugen]]」にて『[[緊縛教室|縛り方講座]]』開催。講師は[[早川佳克]]。
 
2003年(平成15年)9月、[[S&Mスナイパー]]9月号に「髭の交友録」連載開始から20年を祝して[[伊勢屋質店]]で行われた記念パーティーがのレポート。登場者は[[館淳一]]、[[松井健二‎]]、[[神浦匠]]、[[大黒堂ミロ]]、[[キャンディ]]、[[明智伝鬼]]、[[麻倉雅]]ら。
 
2004年(平成16年)、「[[Mugen]]」にて「SMセレブを囲む会」連続開催。ゲストは[[館淳一]]、[[明智伝鬼]]、[[団鬼六]]など。
 
2005年(平成17年)9月6日、東京厚生年金会館にて『'''[[明智伝鬼追悼式]]'''』(発起人:[[団鬼六]]、[[高須基仁]]、[[桜田伝次郎]]、[[早川佳克]])
 
2006年(平成18年)9月、[[ソーマ]]解散。[[Mugen]]閉店。
 
2006年(平成18年)10月3日、女王様スナック「[[なかむら]]」<ref group="注">[[中村あけみ]]が経営する女王様スナックで、新宿区舟町(四谷三丁目駅近く)に2009年まであった。</ref>を根拠として「髭のサロン」の活動を再開。
 
2009年(平成21年)12月25日、「[[なかむら]]」の閉店にともない、「[[髭のサロン]]」の活動を新宿の新し場所に移す。
 
2012年(平成24年)12月、「[[髭のサロン]]」終了。
 
2019年(平成31年)1月31日、「[[髭のサロン]]」復活


==エピソード==
==エピソード==
*[[蘭光生]]との公私とものつきあいが長い。
*[[蘭光生]]との公私とものつきあいが長い。
*夫人は『奇想天外』の編集。
*夫人は『奇想天外』の編集。
*1980年(昭和55年)発行の月刊誌『FREAK』([[セルフ出版]])の対談で、「実際にはまだSMプレイはしていないがSM予備軍である」と紹介されている。
*[[早川舞]]『'''そのとき歴史が鞭打たれた 第7回  SM誌の新世界を切り拓いた男'''』[http://www.repo-zine.com/ レポ]2011年(平成23年) No. 7でインタビュー。
*[[パソコン通信]]や[[インターネット]]での発信を活発におこなっている。ITの管理は、『〜』(通称ニョロ)氏が担当していた模様。
*[[神浦匠]]製作の縄を用いていた<ref>[[S&Mスナイパー]]2003年9月号『'''[[髭]]の歴史'''』</ref>


==代表作==
==代表作==
===雑誌・書籍===
*[[髭]]『'''髭の交友録'''』[[S&Mスナイパー]]1983年9月号?〜1986年(昭和61年)1月号
*[[髭]]『'''髭の反クリニック'''』[[S&Mスナイパー]]1986年(昭和61年)4月号〜1987年(昭和62年)2月号
*[[髭]]『'''新・髭の交友録'''』[[S&Mスナイパー]]1987年(昭和62年)4月号〜
*[[早川佳克]]『'''流刑されたSM誌'''』in [[フォトスナイパー]]1988年(昭和63年)4月号
*[[夢村寛]]『'''調教ドキュメント'''』[[S&Mスナイパー]]1989年(平成元年)4月号〜1989年(平成元年)6月号までの3回。
*『'''[[髭]]の交友録 女たちのベンチャーSEX'''』[[S&Mスナイパー]]1990年(平成2年)7月5日号増刊号([[ミリオン出版]]、発売人:[[平田明]])
*[[沼正三]]への[[早川佳克]]によるインタビュー『'''あらゆるものはSFである'''』[[デラべっぴん]]1990年9月20日増刊号[[TOPAZ]] No.1
*『'''S&Mマニアライフ'''』([[大洋図書]], 1991)
*『'''調教王II'''』([[ミリオンムック]]88)([[ワイレア出版]], 1999,10.15)([[髭のサロン]]100回記念)


===映画===
*『'''D坂の殺人事件'''』(東京テアトル, 1998)(原作:[[江戸川乱歩]]、美術:池谷仙克 [[前田寿安]]、音楽:池辺晋一郎、[[映画における緊縛指導|緊縛指導]]:[[早川佳克]]、監督:実相寺昭雄、助監督:高橋巌、出演:真田広之 吉行由実他)


==ノート==
==参考資料==
<references group="note"/>  
<references/>
 
==注釈==
<references group=""/>  
 
 
==お役たちweb==
*[http://hige2012sm.blog.fc2.com 「髭」と呼ばれた男]
*[http://mugen.32ch.jp/ Mugen]
*[http://web.archive.org/web/20011201001435/http://hige.32ch.com/ 髭のサロン]
*[http://web.archive.org/web/20000302033938/http://www.subchannel.com:80/~hige/core.html 昔の髭のサロン]
*[http://web.archive.org/web/20011218062645/http://mugen.32ch.com/news/index.html 昔のmugen on the web]
*[http://web.archive.org/web/20020603030255/http://mugen.32ch.com:80/ 昔のサロンMugenのHP]
*[https://www.kinbakutoday.com/interview-hige/ Kinbaku Today: Interview - Hige]


==つながり==
==つながり==
[[明智伝鬼]]
[[松井健二]]
[[蘭光生]]
[[蘭光生]]
[[鷹木竿主]]
[[鷹木竿主]]
 
[[花真衣]]
==お役たちweb==
[http://mugen.32ch.jp/ Mugen]<br>
 


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はやかわ よしかず、1949年(昭和24年)1月20日-

概要

編集者。緊縛師。

別名

、髭の編集長、夢村寛Yoshikazu Hayakawa

略歴

1949年(昭和24年)1月、呉服屋の長男として生まれる[1]

1962年(昭和37年)頃、風俗奇譚を知り、SMに興味をもつ[2]

1967年(昭和42年)頃、専修大学経営学科に入学。しばらくして和光大学に転学[1]

1968年(昭和43年)頃、交際中の女性を初めて縛る[2]

1972年(昭和47年)、大学を卒業[注 1]して三崎書房に入社[注 2]。『セクシカ』『えろちか』の編集を担当。

1973年(昭和48年)3月、『えろちか』 が休刊したため、新しく『幻想と怪奇』の創刊編集長(編集顧問は荒俣宏)となるが、創刊号発刊と共に三崎書房が倒産。2号からは歳月社[注 3]が引き継いでで発行し、早川佳克歳月社に移る。『幻想と怪奇』は1974年(昭和49年)10月の通巻12号まで続くが、早川佳克は通巻11号で歳月社をやめた[2]

1974年(昭和49年)、歳月社時代、荒俣宏鏡明に面白い本だとSMキングを紹介される[1]

1974年(昭和49年)、小悪征夫の紹介で司書房に入社[注 4]。「別冊SMファン」デスクに2年半程。この時の「別冊SMファン」のデスクに須藤将史がおり、親密になる[3]。さらに竹書房の「ギャンブル・パンチ」デスク、「近代麻雀オリジナル」創刊編集長などを歴任。

1978年(昭和53年)、竹書房の「近代麻雀臨増」の編集長[1]

1979年(昭和54年)、「S&Mスナイパー」9月創刊号より夢村寛の名前で『SMモニター』シリーズの連載開始。挿絵は鬼頭暁

1980年(昭和55年)、ミリオン出版に入社。4月の「小説S&Mスナイパー(後に別冊S&Mスナイパー)」創刊編集長となる。「S&Mスナイパー」5月号より編集長。この頃から、「髭の編集長」と呼ばれる。

1980年(昭和55年)、関和子との交遊が始まる[4]

1982年(昭和57年)、「S&Mスナイパー」6月号で編集長をやめ古本喜彦に交代。

1983年(昭和58年)、「別冊S&Mスナイパー」6月号で編集長をやめ中原冬一朗に交代。

1983年(昭和58年)、ミリオン出版編集局長となる[5]。「S&Mスナイパー」9月号より、「髭の交遊録」「髭の調教教程」連載開始。

1984年(昭和59年)、ミリオン出版を退職してフリー編集者となる。「フランス書院文庫」「トマト・ノベルス」の出版に関わる[注 5]

1991年(平成3年)、「髭のサロン」を開催し、S&Mスナイパーにも「髭のサロン」の連載を開始。編集プロダクション(有)ソーマ設立。

1991年(平成3年)8月1日、『S&Mマニアライフ』(大洋図書)で特集。

1992年(平成4年)7月、『SMスピリッツ』(旧「別冊S&Mスナイパー」)の編集長を安倍遼次郎から交代。1993年(平成5年)10月の終刊号まで。

1996年(平成8年)8月、早川佳克パソコン通信NIFTY-Serveにパティオ開設[注 6]

1999年(平成11年)、早川佳克インターネットに「髭のサロン」開設(泉屋のサブチャンネル上)。

1999年(平成11年)10月15日、S&Mスナイパーの連載「髭のサロン」の100回を記念して『調教王II』(ミリオンムック88)がワイレア出版から発刊。

2001年(平成13年)10月20日、「mugen on the web」HP開設(泉屋のサブチャンネル上)。

2001年(平成13年)10月25日、六本木にSMラウンジ「Mugen」を開店。

2001年(平成13年)12月5日、「Mugen」にて『縛り方講座』開催。講師は早川佳克

2003年(平成15年)9月、S&Mスナイパー9月号に「髭の交友録」連載開始から20年を祝して伊勢屋質店で行われた記念パーティーがのレポート。登場者は館淳一松井健二‎神浦匠大黒堂ミロキャンディ明智伝鬼麻倉雅ら。

2004年(平成16年)、「Mugen」にて「SMセレブを囲む会」連続開催。ゲストは館淳一明智伝鬼団鬼六など。

2005年(平成17年)9月6日、東京厚生年金会館にて『明智伝鬼追悼式』(発起人:団鬼六高須基仁桜田伝次郎早川佳克)

2006年(平成18年)9月、ソーマ解散。Mugen閉店。

2006年(平成18年)10月3日、女王様スナック「なかむら[注 7]を根拠として「髭のサロン」の活動を再開。

2009年(平成21年)12月25日、「なかむら」の閉店にともない、「髭のサロン」の活動を新宿の新し場所に移す。

2012年(平成24年)12月、「髭のサロン」終了。

2019年(平成31年)1月31日、「髭のサロン」復活

エピソード

  • 蘭光生との公私とものつきあいが長い。
  • 夫人は『奇想天外』の編集。
  • 1980年(昭和55年)発行の月刊誌『FREAK』(セルフ出版)の対談で、「実際にはまだSMプレイはしていないがSM予備軍である」と紹介されている。
  • 早川舞そのとき歴史が鞭打たれた 第7回 SM誌の新世界を切り拓いた男レポ2011年(平成23年) No. 7でインタビュー。
  • パソコン通信インターネットでの発信を活発におこなっている。ITの管理は、『〜』(通称ニョロ)氏が担当していた模様。
  • 神浦匠製作の縄を用いていた[6]

代表作

雑誌・書籍

映画

  • D坂の殺人事件』(東京テアトル, 1998)(原作:江戸川乱歩、美術:池谷仙克 前田寿安、音楽:池辺晋一郎、緊縛指導早川佳克、監督:実相寺昭雄、助監督:高橋巌、出演:真田広之 吉行由実他)

参考資料

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 noteより
  2. 2.0 2.1 2.2 Ms. Aによるインタビュー(2010)
  3. 早川佳克流刑されたSM誌フォトスナイパー1988年(昭和63年)4月号
  4. 早川佳克淑女録3『女王たらし①和江』
  5. 早川舞そのとき歴史が鞭打たれた 第7回 SM誌の新世界を切り拓いた男レポ2011年(平成23年) No. 7
  6. S&Mスナイパー2003年9月号『の歴史

注釈

  1. 卒業研究はGeorges Batailleを中心としたエロス研究。
  2. 入社時の社長は林宗宏中田雅久も編集長として在籍していた。林は三崎書房の倒産後、『Pジャンク』の発刊などにかかわっていた模様。
  3. 三崎書房の印刷を担当していた。三崎書房の債権者でもあった。
  4. 入社後、当時編集長であった平田明を知る
  5. スナイパー時代に知り合ったSM作家をこれらの文庫本に売り込む。
  6. 実質の運営は『〜』(ニョロ)が担当。
  7. 中村あけみが経営する女王様スナックで、新宿区舟町(四谷三丁目駅近く)に2009年まであった。


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