山下久一郎

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山下久一郎

やました くいちろう、1909年(明治42年)[注 1]-

概要

緊縛写真研究家[1]。戦後の謎の緊縛師大下壮一郎と同一人物かも知れない[2]

別名

Kuichiro Yamashita大下壮一郎

略歴

1925年(大正14年)頃、『講談倶楽部』『面白クラブ』などの緊縛絵に心惹かれる。伊藤晴雨が挿絵を描いた『地を飛ぶ明星』も[1]

1930年前後、北京に勤務[1]

(不明)、新聞社に勤務[1]

1954年(昭和29年)4月、風俗草紙4月号に座談会『責めと緊縛よもやま話』(出席者:吉野二郎伊藤晴雨山下久一郎松井籟子氏家富良)

エピソード

  • 「手は一番後に結ぶべき」と発言[1]

代表作

引用文献

注釈

  1. 風俗草紙1954年(昭和29年)4月号『責めと緊縛よもやま話』に「本年四十五歳」とあるのから逆算。

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つながり

須磨利之 伊藤竹酔 上田青柿郎 金井行雄 大下壮一郎