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1980年(昭和55年)、劇画、イラスト、挿画、スポーツ新聞の挿画等、多誌にわたって活躍。 | 1980年(昭和55年)、劇画、イラスト、挿画、スポーツ新聞の挿画等、多誌にわたって活躍。 |
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まえだ じゅあん、1939年(昭和14年)5月26日 - 。歌川大雅の門下。1963年に劇画作家としてデビュー。SMセレクト創刊号以来、SM挿絵画家、劇画家、イラストレーターとしての幅広く活動。団鬼六と共作多い。
概要
絵師。日本出版美術連盟会員。実話と秘録、SMマガジン、SMセレクト、小説SMセレクト、SMファン、別冊SMファン、SMクラブ、SMフェニックス、SM秘小説、SMスパイダー、マニア倶楽部などの多くのSM雑誌の作品発表。
別名
略歴
1939年(昭和14年)、北海道生まれ。
1957年(昭和32年)、高校を中退し、歌川大雅の内弟子となるため上京[1]。
1963年(昭和38年)、芳文社より劇画デビュー。以後双葉社・集英社のプレイボーイ等で劇画を執筆。
1970年(昭和45年)、SMセレクト創刊号掲載の団鬼六『穴倉夫人』の挿絵[2][1]。
1972年(昭和47年)、SMキング8月創刊号から団鬼六原作『劇画 花と蛇』を連載。開始。1973年(昭和47年)4月号まで続く。
1973年(昭和48年)5月21日、鬼プロとサン出版の企画による箱根での慰労会[3]。出席者は団鬼六、美濃村晃、堂昌一、小日向一夢、千草忠夫、安芸蒼太郎、小妻容子、前田寿安、沖渉二、古正英生、東桂史、中島喜美、織裳雪夫、松井籟子、蘭光生、天堂寺慎、山田彬弘、曽我部泰、佐藤重臣、ネコ、マリ。
1980年(昭和55年)、劇画、イラスト、挿画、スポーツ新聞の挿画等、多誌にわたって活躍。
1985年(昭和60年)、夫人の実家である長野に移り、以後長野を拠点に活動[1]。
1987年(昭和62年)4月21-26日、ロイヤルサロンギンザにて『出版画実術家連盟8人展<艶>』。小妻要、小悪征夫、堂昌一、沢登みよじ、レオ澤鬼、西村春海、日影眩、前田寿安。
2008年(平成20年)、奈加あきら「夢流想倶楽部」レーベルのDVDジャケットを製作。
2010年(平成22年)3月15日−27日、『責め絵展「闇桜」』於ヴァニラ画廊。
エピソード
- 中学時代から歌川大雅と交流をもっていた[1]。
- 6年以上歌川大雅宅で内弟子として修業[注 1]。「絵を教わった事は一度もないそうです。テクは盗む物・・精神だったらしく、お手伝いさんの様な生活。でも人生の基礎、わびさび等々は学んだみたいです。」「父は何度か先生に作品を見てもらいましたが『君の画く絵は色っぽすぎて大人向けだ!』と言われ路線を大人の劇画に変えて行きブレイクしはじめました。」[1]。
- 「前田寿安」の名前は歌川大雅につけてもらった[1]。
- 実弟は「前田海(かい)」でやはり絵師(歌川大雅の弟子ではない)[注 2]。2000年頃逝去。[1]。
作品
画集
- 前田寿安『愛奴』(ソフトマジック, 1999)
- 前田寿安『寿安―前田寿安責め絵集』(ソフトマジック, 2000)
- 前田寿安『縄化粧―前田寿安作品第2集』(ソフトマジック, 2000)
- 『秘禁縄淫画廊』(マイウェイ出版, 2008)
- 小妻容子・前田寿安・椋陽児『悦虐肌秘画三人集 艶女 惑溺の被戯宴』(ヤック翔竜社, 不明)(企画・編集:魁歓社)
- 小妻容子・鬼頭暁・笠間しろう・前田寿按『秘婉』(マイウェイ出版, 2011.1.28)
絵本
- 前田『どうぶつのおやこ』