「西村昭五郎」の版間の差分

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1954年(昭和29年)、京都大学文学部仏文科を卒業。[[日活]]に入社<ref name="Wikipedia"></ref>。
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1971年(昭和46年)11月20日、[[日活]]ロマンポルノ作品の最初の作品となる『団地妻 昼下りの情事』を監督<ref group="注">二本立てで封切りのもう1つの作品は[[林功]]監督『'''色曆大奥秘話'''』</ref>。
1971年(昭和46年)11月20日、[[日活]]ロマンポルノ作品の最初の作品となる『'''団地妻 昼下りの情事'''』を監督<ref group="注">二本立てで封切りのもう1つの作品は[[林功]]監督『'''色曆大奥秘話'''』</ref>。


1977年(昭和52年)、『'''[[肉体の門]]'''』『'''肉体の悪魔'''』などの監督。
1977年(昭和52年)、『'''[[肉体の門]]'''』『'''肉体の悪魔'''』などの監督。
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*中平康監督に師事
*中平康監督に師事
==代表作==
==代表作==
*『'''団地妻 昼下りの情事'''』1971
*『'''実録ジプシーローズ'''』1974
*『'''実録ジプシーローズ'''』1974
*『'''[[肉体の門]]'''』1977
*『'''[[肉体の門]]'''』1977

2017年8月10日 (木) 09:52時点における最新版

西村昭五郎ドキュメント 成人映画』(シネトピア10/15増刊, ミリオン出版, 1978)より
花と蛇 黒薔薇夫人』(1978)より。谷ナオミ
花と蛇 白衣縄奴隷』(1986.12.6)より

にしむら しょうごろう 1930年(昭和5年)1月18日-2017年(平成29年)8月1日。にっかつロマンポルノの第一作『昼下りの情事』を監督。『肉体の門』『実録ジプシーローズ』。『黒薔薇夫人』(1978)以降、多くの団鬼六作品を監督。

概要

別名

西サン[1][2]

略歴

1930年(昭和5年)1月18日、滋賀県に生まれる[3]。西宮という記述も[1]

1954年(昭和29年)、京都大学文学部仏文科を卒業。日活に入社[3]

1971年(昭和46年)11月20日、日活ロマンポルノ作品の最初の作品となる『団地妻 昼下りの情事』を監督[注 1]

1977年(昭和52年)、『肉体の門』『肉体の悪魔』などの監督。

1978年(昭和53年)1月、脚本家の桂千穂と共に浦戸宏を訪れSMについての意見交換[2]

1978年(昭和53年)4月、SM作品の第1作となる『黒薔薇夫人』が封切り[2]

1981年(昭和56年)、日活は経費削減のために長谷部安春西村昭五郎神代辰巳田中登小沼勝藤井克彦自鳥信一ら専属契約を解除[4]

2017年(平成29年)8月1日、永眠。

エピソード

  • 中平康監督に師事

代表作

引用文献

  1. 1.0 1.1 村井実監修『ドキュメント 成人映画』(シネトピア10/15増刊, ミリオン出版, 1978)
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 浦戸宏縛師: 日活ロマンポルノ SMドラマの現場』(筑摩書房, 2015.3.24)
  3. 3.0 3.1 Wikipediaより
  4. 二階堂卓也ピンク映画史: 欲望のむきだし』(彩流社, 2014.7.23)

注釈

  1. 二本立てで封切りのもう1つの作品は林功監督『色曆大奥秘話

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