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2014年4月10日 (木) 17:23時点における版
さくらだ でんじろう、1952年(昭和27年)3月-
概要
緊縛師。SMショーの草分け。賀山茂、長田英吉、明智伝鬼、玉井敬友らと交流。
別名
略歴
1976年(昭和51年)、それまで大阪で活動していた玉井敬友が上京して劇団「シアタースキャンダル」を設立。六本木のシアタースキャンダルのアトリエでの公演のスタッフとして呼ばれる[注 1]。
1976年(昭和51年)、玉井敬友はシアタースキャンダルの責め師の役として長田英吉に出演依頼。これがきっかけで桜田伝次郎は長田英吉を知る。
の「シアタースキャンダル」の舞台を手伝い始める。しばらくして「シアタースキャンダル」の舞台で長田英吉と知り合う[1][注 2]。
1979年(昭和54年)、劇団世界劇場が紫テントで全国興行開始。鈴木美代子が参加。
1980年(昭和55年)、GSG企画の月例会が荻窪駅の近く[注 3]で始まる[1]。長田英吉のオサダ・ゼミナールがこのGSG企画の会場でしばらく行われる。
1980年代、大塚の『SMボンバー』、中野の『東京SM倶楽部』でGSG企画のSMショー。この頃から明智伝鬼が桜田伝次郎のショーを手伝うようになる[注 4][1]。
1981年(昭和56年)、劇団世界劇場が紫テントでみずほ台駅前公演。
1983年(昭和58年)3月、新宿南口にシアターPOOを開く。
1985年(昭和60年)、SMショーから引退。
1985年(昭和60年)〜2009年(平成21年)まではSMショーはおこなっていない。AV監督やモデルオフィス活動。
2009年(平成21年)12月6日、シアターPOOにて25年ぶりにSMショー[注 5]。
2010年(平成22年)、「昭和SMの復活」をスローガンに、シアターPOO、DX歌舞伎町SM大会などで精力的にショーをおこなう。志摩紫光、一鬼のこなどとの二人会。
2011年(平成23年)、シアターPOO、DX歌舞伎町SM大会などを中心に活動。風見蘭喜、神凪などとの二人会。
2012年(平成24年)12月24日、シアターPOOでの『SMファン感謝祭・第二幕』【出演】栗鳥巣&内山沙千佳、SHIMA Malphas &ルーシー、夜羽エマ、荊子、桜田伝次郎、松本格子戸
2013年(平成25年)7月15日、シアターPOO開場30周年記念特別企画特別企画『SMファン感謝祭』【第1部出演】京はるな、SHIMA Malphas&ルーシー、蓬莱かすみ&倖田李梨、シーナ、荊子、蕾火&ゆき、【第2部出演】若林美保、内山沙千佳、朱魅(卯月朱美)、夜羽エマ&ice、一鬼のこ&七(十三花)、桜田伝次郎
2013年(平成25年)12月23日、シアターPOOにて『SMファン感謝祭!』【出演】若林美保、鳳麗、鵺神蓮、蓬莱かすみ&倖田李梨、SHIMA Malphas&ルーシー、徳井唯&三代目葵マリー&大貫希、栗鳥巣、夜羽エマ&ice、結月里奈&杏野ヒナナ、荊子、上条早樹&愛子、桜田伝次郎&あおい、松本格子戸
エピソード
- 桜田伝次郎は1976年(昭和51年)に長田英吉と出会うまではSMには興味がなかった。
- GSG企画の女優としては、黒川真由美、沢マミ、鈴木美代子、水沼、小泉、かすみ、あい、菊池など。また、責め師として桜田信、村井弦が誕生。
- GSG企画のSMショーは、西荻窪のGSG企画アトリエ、大塚のマイウエイ、中野クィーン、SAMMなどで開催[2]。
- 大塚のマイウエイでおこなっていたイベントの名称が『SMボンバー』。GSG企画の女優である菊池が人気。マイウェイ女店主のジーナ女王様とのレズショーも人気[2]。
- 中野クィーンでおこなっていたイベントの名称が『東京SM倶楽部』[2]。
- アルス・ノーヴァでのオサダ・ゼミナールの企画をしたことはあるが、GSG企画のメンバーは出演していない[2]。
- 熱海旅館はGSG企画のSMショーでは使っていないが、AVの撮影で使ったことがある。SMショーを1985年以降引きついた明智伝鬼は使っていた[2]。
- 川上譲治に誘われてストリップ劇場でのSMショーを開始。ただし川上譲治のコース切りにはのっておらず、道頓堀劇場の志賀直樹のコース切り[2]。
- ストリップ劇場でのSMショーは黒川真由美との浣腸ショー。人気を集め相当のギャラがついた[2]。
- ストリップの舞台は道頓堀劇場、九条OS劇場、鶴見新世界劇場、名古屋銀映など[2]。
- シアターPOOは1983年(昭和58年)にオープンするが、1985年(昭和60年)に一時SMショーから引退するまでシアターPOOではGSG企画のSMショーはおこなっていない。AVの撮影には利用した。シアターPOOでの最初のSMショーは2009年(平成21年)12月6日[2]。
- 明智伝鬼と知己。「伝鬼」の「伝」は桜田伝次郎から由来する。
代表作
AV
- 『美少女みだら責め』(2チャンネル, 1983)(監督:明石雷蔵) [注 6]
- 『桜田伝次郎SMロマン2 新妻を犯す』(2チャンネル, 1983)(出演:島田千恵)
- 『SM本番解禁・桜田伝次郎外伝/悦逆のカーニバル』(ビップ, 1986) (出演:西麻美)
- 『魔縄伝(明智伝鬼/桜田伝次郎)』(ビースバルプロモーション、1994)
- 『人間螢』(ステラ, 1994) (出演:荒井美穂)
- 『SMハードロマン in 桜田伝次郎/超真性M対決』(ネクストイレブン, 1997)
- 『SMハードロマン in 桜田伝次郎/刺青M女大絶叫』(ネクストイレブン, 1997) (出演:だりあ)
- 『悦縛看護婦』(麒麟堂, 戯縛ハード, 19xx) (監督:桜田伝次郎、緊縛:明智伝鬼) (出演:桜田佳子)
- 『愛奴秘書』(麒麟堂, 戯縛ハード, 19xx) (監督:桜田伝次郎、緊縛:明智伝鬼) (出演:梶原まゆ)
- 『麗奴秘書』(麒麟堂, 戯縛ハード, 19xx) (監督:桜田伝次郎、緊縛:明智伝鬼) (出演:桜たまき)
- 『愛奴人妻』(麒麟堂, 戯縛ハード, GBH-06, 19xx) (監督:桜田伝次郎、緊縛:明智伝鬼) (出演:西澤麻里)
- 『女教師淫らな下唇』(麒麟堂, 戯縛, GBH-01, 19xx) (監督:桜田伝次郎、緊縛:明智伝鬼) (出演:相川みほ、チョコボール向井)
- 『バニーガール淫らな蜜液』(麒麟堂, 戯縛, GB-06, 19xx) (監督:桜田伝次郎、緊縛:明智伝鬼) (出演:本山由紀乃)
- 『緊縛女教師・あやしい放課後』(ネクストイレブン, 1999) (監督:桜田伝次郎、緊縛:明智伝鬼)
- 『実録縄師伝説/桜田伝次郎と明智伝鬼』(ネクストイレブン, 2000)
- 『マゾに目覚める瞬間』(ネクストイレブン, 2000) (監督:桜田伝次郎、出演:卯月彩 奥菜めぐ)
- 『セーラー性奴』(桃太郎映像出版, 2002) (監督:桜田伝次郎、出演:水原たま)
- 『邪縛』(アタッカーズ, 2011)(監督:桜田伝次郎、緊縛:神凪、出演:星崎アンリ)