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1953年(昭和28年)8月1日、[http://nawa-art.com/etc/romance/195308/01/195308_01.html 8月号]。編集・発行人が小林光雄となり、SM色はほぼ消える。
1953年(昭和28年)8月1日、[http://nawa-art.com/etc/romance/195308/01/195308_01.html 8月号]。編集・発行人が小林光雄となり、SM色はほぼ消える。


1953年(昭和28年)9月1日、[http://nawa-art.com/etc/romance/195309/01/195309_01.html 9月号]。編集・発行人は小林光雄のまま。
1953年(昭和28年)9月1日、[http://nawa-art.com/etc/romance/195309/01/195309_01.html 9月号]。編集・発行人は小林光雄のまま。緊縛写真は[http://nawa-art.com/etc/romance/195309/01/022.html 1枚]のみ。


== エピソード==
== エピソード==

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讀切ロマンス 1951年(昭和26年)5月号 画・牧山隆一

よみきりろまんす』1949年(昭和24年)ー1950年代初め?

概要

カストリ雑誌の晩期に創刊された雑誌と思われる。創刊は奇譚クラブよりも遅いものの、緊縛写真は1951年(昭和26年)の中頃から掲載してたようで、奇譚クラブより約1年早いことになる。緊縛写真を掲載していたころの編集人は上田青柿郎で、後に風俗草紙風俗科斈に執筆している。また、賀山茂上田青柿郎の「縛りの撮影会」に1954年(昭和29年)頃参加したとの記録がある。1952年(昭和27年)8月と1953年(昭和28年)1月に別冊の緊縛写真集を出しているが、後者には伊藤晴雨風の写真が掲載されている。1953年(昭和28年)代には伊藤晴雨の作品も掲載している。

発行年・出版社

1949年12月1日、合資会社サンライズ書房

1951年5月号は睦書房

1952年3月号は第4巻、睦書房

発行人・編集人

讀切ロマンス 1952年(昭和27年)8月号

編集人:小堀神風、発行人:久保田嶽五郎

編集人:川越嵬、発行人:小林光雄、印刷人:大塚勇 (1951年5月号)

編集人:上田青柿郎、発行人:小林光雄、印刷人:田代伯文(1952年2月号)

編集人:上田青柿郎、発行人:小林光雄、印刷人:加藤木豊三

編集人:上田青柿郎、発行人:小林光雄、印刷人:久能木貞治

編集人:水島良雄、発行人:小林光雄、(1953年4月号)

主な出来事

讀切ロマンス1952年(昭和27)年2月号の緊縛写真

1949年(昭和24年)、12月1日人情講談の別冊として合資会社サンライズ書房から創刊。

1951年(昭和26年)5月号、編集人:川越嵬、発行人:小林光雄睦書房から発行。田賀甫構成で金粉ショーの舞台写真など。表紙:牧山隆一。カラー口絵は末永充。挿絵:鶴兼昌、牧山隆一、渡辺幸雄、内野八郎、末永充、龍川春延、久滋茂、藤形一男、陣野重晴、三谷一馬。漫画:関屋睦児、大谷主人。目次カット:久滋茂。

1951年(昭和26年)7月号、編集人:川越嵬のまま。表紙:牧山隆一。カラー口絵は末永充。田賀甫構成のグラビアに緊縛写真が登場。新宿セントラル劇場でのストリップ舞台と思われる[注 1]。挿絵は伊東清、福田三生、鶴兼昌、牧山隆一、大久保四郎、木俣清史佐野博、藤形一男、末永充、久滋しげる、堂昌一。漫画は白路徹、ふじ沢しん

1952年(昭和27年)2月号、緊縛写真が登場。撮影は尾崎光陽。編集人上田青柿郎睦書房。表紙:牧山隆一。挿絵は佐野博、三木良、村木加壽夫、江戸川八郎、福田三生、藤形一男、森下和夫、伊原顕、夢野三平、松生英一、福田三生。漫画は武居ヨシ雄、信田力夫、イムラマサル、川合正。

1952年(昭和27年)、3月号を第4巻、5号として編集人上田青柿郎

1952年(昭和27年)8月号、臨時増刊号限定1000部の予約広告

讀切ロマンス 1952年(昭和27年)8月増刊号

1952年(昭和27年)8月、讀切ロマンス臨時増刊号として『特写 ヌード風俗アルバム』を第4巻第11号として発行[注 2]

1953年(昭和28年)1月、讀切ロマンス臨時増刊として『伊藤晴雨監修 ヌードアルバム 悦虐恍惚図』を発行。

1953年(昭和28年)2月1日、2月号発行。編集後記に「新年号は発行トタンにいけないことになり」「今月号は・・・健全な娯楽雑誌として」とあるので、1月号は検挙されたのかもしれない。表紙は亀山博。伊藤晴雨の『十二ヶ月行事奇態刑罰図譜』の頒布特別会員の募集広告やエッセイ『天下一品の責め絵々巻』など。編集人は上田青柿郎

1953年(昭和28年)4月1日、4月号発行。編集人が水島良雄に代わっている。『十二ヶ月行事奇態刑罰図譜』の広告は出ているものの、緊縛関連の写真はすっかりなくなる。かなり夫婦雑誌を意識した記事が占めている。

1953年(昭和28年)6月1日、6月号発行。編集人は春日三郎(吉光寺孝)に代わっている。発行人は小林光雄。ヌード写真『青春の嬉悦』(構成:春日三郎、撮影:小川三吉)は露出度低い。『日本刑罰秘帖』より「悦虐夢幻境」(睦書房)はこの号唯一の縛りの写真。早瀬二郎の長編漫画。俳優小林桂樹の『ハダカ怪快談』。讀切ロマンス増刊号『東京生活』第2号の広告。カメラルポルタージュ『青線区域』』(構成:春日三郎、撮影:駿河泰三、文:秋野実)、秘蔵写真などの広告運命相談部開設のお知らせ、。

1953年(昭和28年)7月1日、7月号臨時増刊号。編集人は水島良雄、発行人は小林光雄。縛り関係の記事・写真はない。

1953年(昭和28年)8月1日、8月号。編集・発行人が小林光雄となり、SM色はほぼ消える。

1953年(昭和28年)9月1日、9月号。編集・発行人は小林光雄のまま。緊縛写真は1枚のみ。

エピソード

  • 緊縛写真は奇譚クラブより先[注 3]
  • 1952年(昭和27年)2月号の緊縛写真には「撮影:尾崎光陽」とある。
  • サンライズ書房睦書房共に東京都千代田区神田駿河台三ノ三
  • 小堀神風は「現代評判名作全集 婦女界附録 斜陽他」や『伝記』(1948年(昭和23年))青柿堂などの編集。
  • 石塚喜久三、香山滋、城昌幸、長田幹彦、野村胡堂、村上元三、横溝正史、潮寒二、荻原秀夫などの小説が掲載。
  • 成瀬一富、加藤敏郎、神保朋世、今村恒美などの挿絵。

主な作品

引用文献

注釈

  1. モデルはサリー・宮川で、演目は「更屋敷」。おそらく田賀甫が演出したものであろう。
  2. 編集後記に「『縛り絵』一年生」として上田の手記。「「女の責め場」をヌード写真に採上げてからちょうど一年になる。」と書いてある。
  3. 奇譚クラブは1952年(昭和27年)5・6月合併号。

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