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'''ようき'''、1947年(昭和22年)ー1953年(昭和28年) | '''ようき'''、1947年(昭和22年)ー1953年(昭和28年)。ミステリー系の[[カストリ雑誌]]として1947年(昭和22年)7月に[[オール・ロマンス社]]から創刊。創刊編集人は[[本多喜久夫]]。夢野久作 や 江戸川乱歩 の作品と共に、 [[伊藤晴雨]]の作品も多い。1950年8月号には、晴雨のアトリエを撮したグラビアが掲載。1952年(昭和27年)11月に『[[トリック]]』へ と誌名変更し、1953年まで続く。 | ||
== 概要 == | == 概要 == | ||
1947年(昭和22年)から1953年(昭和28年)まで発行された探偵雑誌。初期は[[カストリ雑誌]]らしい作りだったが、徐々にエロスを前面に押し出した大衆小説誌となっていく。1952年(昭和27年)に『'''トリック'''』へ と誌名改題している。 | 1947年(昭和22年)から1953年(昭和28年)まで発行された探偵雑誌。初期は[[カストリ雑誌]]らしい作りだったが、徐々にエロスを前面に押し出した大衆小説誌となっていく。1952年(昭和27年)に『'''トリック'''』へ と誌名改題している。 |
2024年4月11日 (木) 12:06時点における版
ようき、1947年(昭和22年)ー1953年(昭和28年)。ミステリー系のカストリ雑誌として1947年(昭和22年)7月にオール・ロマンス社から創刊。創刊編集人は本多喜久夫。夢野久作 や 江戸川乱歩 の作品と共に、 伊藤晴雨の作品も多い。1950年8月号には、晴雨のアトリエを撮したグラビアが掲載。1952年(昭和27年)11月に『トリック』へ と誌名変更し、1953年まで続く。
概要
1947年(昭和22年)から1953年(昭和28年)まで発行された探偵雑誌。初期はカストリ雑誌らしい作りだったが、徐々にエロスを前面に押し出した大衆小説誌となっていく。1952年(昭和27年)に『トリック』へ と誌名改題している。
発行年・出版社
1947年(昭和22年)から1953年(昭和28年)[注 1]、オール・ロマンス社
発行人・編集人
発行者:本多喜久夫
歴史
1947年(昭和22年)7月1日、オール・ロマンス社より発行者:本多喜久夫で創刊。
1948年(昭和23年)7月、創刊1周年7月特別号に伊藤晴雨の『泥絵殺人譜』や夢野久作『童貞』など。
1949年(昭和24年)8月、二平莞『悪魔の招宴』(挿絵:中村立行)に縛りの絵が。
1950年(昭和25年)2月1日、2月號。第四巻第二號。通巻三十三號。編集発行人:本多喜久夫。70圓。
1948年(昭和23年)、増刊号で野村胡堂の『恋文道中記』を一挙掲載[注 2]。
1952年(昭和27年)11月、『トリック』へ と誌名改題[注 3]。
1953年(昭和28年)、終刊。終刊号では島本春雄の『振袖小姓捕物控』が14編再録。
代表作
- 伊藤晴雨『泥絵殺人譜』妖奇 1948年(昭和23年)7月号
- 島本春雄『振袖小姓捕物控』妖奇 1949年(昭和24年)から1953年(昭和28年)までに連載。挿絵は中島喜美[注 4]。
- 並木行夫『小説江戸川乱歩』『小説森下雨村』
- 華村タマ子『連続情死事件』
関連書籍
- ミステリー文学資料館編『甦る探偵雑誌④「妖奇」傑作選』(光文社文庫)
- 若狭邦男『探偵作家追跡』(日本古書通信社)
- 山前譲編『推理小説研究資料叢書1 推理小説雑誌細目総覧Ⅰ 昭和20年代篇』(私家版)
エピソード
- 島本春雄はメイン執筆者。自身が読者投稿欄へ自作についての書き込みを行う事もあった。
- 神木謙介と難破春雄が特殊犯罪の謎に挑む連作短編全12作を香山風太郎名義で不定期連載しており、これらは加筆・修正して裏窓へ島本春雄名義で再録[1]。
- 創刊当初は戦前に発表された小説の再録が中心としており、その大半は『新青年』からの転載。
- 当初は裏表紙がカレンダーになっており、後に姉妹誌ともいえる『オール・ロマンス』の広告となった。
- 大雑把な編集方針だったのか、実際の事件を検証した新聞連載小説「小笛事件」(山本禾太郎・作)は単行本化されていたにも関わらず、読者に犯人を当てさせる試みが懸賞付きで行われている。
- バックナンバーは東京都豊島区のミステリー文学資料館にて閲覧可能。