本多喜久夫
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ほんだ きくお、1920年(大正9年)-1973年(昭和48年)[1]
概要
戦前、映画雑誌を発行・編集する傍ら、各社から翻訳ものを中心に著作活動。戦後はオールロマンス社を設立し、妖奇やオール・ロマンスを創刊[1]。日本探偵作家クラブ会員。近年、『妖奇』連載作品「生首殺人事件」が光文社文庫の『「妖奇」傑作選』へ再録され、手軽に読めるようになった。
別名
english、本多喜久雄、尾久木弾歩[注 1][1]、輪堂寺耀[注 2][1]
略歴
1920年(大正9年)、誕生。
1941年(昭和16年)、エドガー・ルイス・バローズ『ターザンの冒険』(新興音楽出版社)の翻訳。
1946年(昭和26年)、オール・ロマンス社名で邦枝完二『毒婦暦』を発行。
1947年(昭和22年)、『妖奇』創刊。
1948年(昭和23年)、『オール・ロマンス』創刊。
1951年(昭和26年)、「オール・ロマンス事件」
1973年(昭和48年)、死去。