「テンプレート:二代目葵マリー」の版間の差分
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*[[日本悪魔クラブ]]のSMショーを運営していた[[わたなべ]]氏は「お客様から声をかけてくるケースもあった。その一人が[[北条小夜子]]さん。「あなたたちのやっているのは、SMじゃない!」。北条さんの第一声は、そんな内容だった。そして、さらに、自身のことを「[[二代目葵マリー]]を襲名することになった」とも言っていた<ref>[https://twitter.com/heart__to__art/status/1737417083967959219 X, 2023年12月20日の書き込み]</ref>」「少なくとも北条さんが初対面のときに自身を二代目であると名乗ったのは間違いないこと。その後、自ら二代目であると発言する場面には出くわさなかったが、私は実体験として二代目は北条さんだと断言しておく<ref>[https://twitter.com/heart__to__art/status/1737424178528268381 X, 2023年12月20日の書き込み]</ref> 」と回想している。 | *[[日本悪魔クラブ]]のSMショーを運営していた[[わたなべ]]氏は「お客様から声をかけてくるケースもあった。その一人が[[北条小夜子]]さん。「あなたたちのやっているのは、SMじゃない!」。北条さんの第一声は、そんな内容だった。そして、さらに、自身のことを「[[二代目葵マリー]]を襲名することになった」とも言っていた<ref>[https://twitter.com/heart__to__art/status/1737417083967959219 X, 2023年12月20日の書き込み]</ref>」「少なくとも北条さんが初対面のときに自身を二代目であると名乗ったのは間違いないこと。その後、自ら二代目であると発言する場面には出くわさなかったが、私は実体験として二代目は北条さんだと断言しておく<ref>[https://twitter.com/heart__to__art/status/1737424178528268381 X, 2023年12月20日の書き込み]</ref> 」と回想している。 | ||
*[[三代目葵マリー]]は「二代目は・・・(半年で)初代が引退を言い渡した」「四代目はマンガ家で風俗経験もあるチャコという子が襲名することになっていた(が)・・逃げちゃった」<ref name="Jitsuwa">『'''波瀾万丈ドキュメント SM女王 [[三代目葵マリー]]'''』[[週刊実話]]増刊 週刊実話ザ・タブー 2019年(平成31年)4月13日号</ref>と回想している。 | *[[三代目葵マリー]]は「二代目は・・・(半年で)初代が引退を言い渡した」「四代目はマンガ家で風俗経験もあるチャコという子が襲名することになっていた(が)・・逃げちゃった」<ref name="Jitsuwa">『'''波瀾万丈ドキュメント SM女王 [[三代目葵マリー]]'''』[[週刊実話]]増刊 週刊実話ザ・タブー 2019年(平成31年)4月13日号</ref>と回想している。 | ||
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画像:HojiSayoko05.jpg|[[週刊読売]]に葵マリーの後継者として紹介されている[[北条小夜子]]<ref name="#YOMIURI1987"></ref> | |||
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==代表作== | ==代表作== |
2024年1月7日 (日) 18:16時点における版
にだいめあおいまりー
概要
1980年代後半に目立った表舞台からの引退を表明する初代葵マリーの後継者として二代目葵マリーが短期間活動していたが、二代目の襲名にはやや混乱があったことが伺える。当初は赤坂ブルーシャトウの女王様であった北条小夜子に二代目葵マリーを襲名させる予定であったらしく、このことは『ブルーシャトー引退記念公演』のビデオの中で初代葵マリーが「2代目を北条小夜子に譲る」と語っていること、および、当時北条小夜子と親交のあった日本悪魔クラブの運営者でもあったわたなべ氏の証言に支持されている。一方で、雑誌等には二代目葵マリーとしての北条小夜子の記事は見当たらず、別人の紅乱が二代目葵マリーとして活動していることを示す記事が1989年頃に存在する。おそらく、初代葵マリーは当初、赤坂ブルーシャトウにいた北条小夜子に二代目葵マリーを襲名させるつもりであったものの、何らかの理由で初代葵マリーが新たに経営を始めた奴隷契約書の紅乱に二代目葵マリーを襲名させたものと思われる。なお、二代目葵マリーに関しては三代目葵マリーの時のような襲名イベントがおこなわれたという記録は未見で、90年代の二代目葵マリーの記事も見つかっていないことから、短命に終わったものと思われる。
別名
略歴
1987年(昭和62年)頃、『ブルーシャトー引退記念公演』のビデオで初代葵マリーが「2代目を北条小夜子に譲る」と語っている。
1987年(昭和62年)頃、おそらくこの頃、北条小夜子は日本悪魔クラブのSMショーを観劇し、運営スタッフのわたなべ氏に自分が三代目葵マリーを襲名すると述べている(下記エピソード参照)。
1987年(昭和62年)11月、マニア倶楽部11月号に奴隷契約書のオープン記事。ママ女王様として紅乱(くれない らん)が紹介されている。
1988年(昭和63年)4月頃、葵龍太郎が社長のブルーシャトー赤坂店と、中野店の二店舗に。週に1回合同で中野店でSMショーを開催しており二代目葵マリーが出演していた[1]。中野店は中野クィーンのビルの3F[2]。
1989年(平成2年)頃、奴隷契約書は二代目葵マリーこと紅乱が中心。月に一度アルファ・インでSMショーを開催[3]。
1995年(平成7年)12月7日、三代目葵マリーの襲名披露パーティーが都内で開かれる。初代葵マリも出席[4]。
エピソード
- 日本悪魔クラブのSMショーを運営していたわたなべ氏は「お客様から声をかけてくるケースもあった。その一人が北条小夜子さん。「あなたたちのやっているのは、SMじゃない!」。北条さんの第一声は、そんな内容だった。そして、さらに、自身のことを「二代目葵マリーを襲名することになった」とも言っていた[5]」「少なくとも北条さんが初対面のときに自身を二代目であると名乗ったのは間違いないこと。その後、自ら二代目であると発言する場面には出くわさなかったが、私は実体験として二代目は北条さんだと断言しておく[6] 」と回想している。
- 三代目葵マリーは「二代目は・・・(半年で)初代が引退を言い渡した」「四代目はマンガ家で風俗経験もあるチャコという子が襲名することになっていた(が)・・逃げちゃった」[7]と回想している。