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*[[三代目葵マリー]] | *[[三代目葵マリー]]は「二代目は・・・(半年で)初代が引退を言い渡した」「四代目はマンガ家で風俗経験もあるチャコという子が襲名することになっていた(が)・・逃げちゃった」<ref name="Jitsuwa">『'''波瀾万丈ドキュメント SM女王 [[三代目葵マリー]]'''』[[週刊実話]]増刊 週刊実話ザ・タブー 2019年(平成31年)4月13日号</ref>と回想している。 | ||
==代表作== | ==代表作== |
2024年1月1日 (月) 16:28時点における版
せい めい、19??年(昭和??年)-
概要
1980年代後半に目立った表舞台からの引退を表明する初代葵マリーの後継者として二代目葵マリーが短期間活動していたが、二代目の襲名にはやや混乱があったことが伺える。当初は赤坂ブルーシャトウの女王様であった北条小夜子に二代目葵マリーを襲名させる予定であったらしく、このことは『ブルーシャトー引退記念公演』のビデオの中で初代葵マリーが「2代目を北条小夜子に譲る」と語っていること、および、当時北条小夜子と親交のあった日本悪魔クラブの運営者でもあったわたなべ氏の証言に支持されている。一方で、雑誌等には二代目葵マリーとしての北条小夜子の記事は見当たらず、別人の紅乱が二代目葵マリーとして鰹津していることを示す記事が1989年頃に存在する。おそらく、初代葵マリーは当初、赤坂ブルーシャトウにいた北条小夜子に二代目葵マリーを襲名させるつもりであったものの、何らかの理由で初代葵マリーが新たに経営を始めた奴隷契約書の紅乱に二代目葵マリーを襲名させたものと思われる。なお、二代目葵マリーに関しては三代目葵マリーの時のような襲名イベントがおこなわれたという記録は未見で、
別名
略歴
1987年(昭和62年)頃、『ブルーシャトー引退記念公演』のビデオで初代葵マリーが「2代目を北条小夜子に譲る」と語っている。
1987年(昭和62年)11月、マニア倶楽部11月号に奴隷契約書のオープン記事。ママ女王様として紅乱(くれない らん)が紹介されている。
1988年(昭和63年)4月頃、葵龍太郎が社長のブルーシャトー赤坂店と、中野店の二店舗に。週に1回合同で中野店でSMショーを開催しており二代目葵マリーが出演していた[1]。中野店は中野クィーンのビルの3F[2]。
1989年(平成2年)頃、奴隷契約書は二代目葵マリーこと紅乱が中心。月に一度アルファ・インでSMショーを開催[3]。
1995年(平成7年)12月7日、三代目葵マリーの襲名披露パーティーが都内で開かれる。初代葵マリも出席[4]。