「ピンク実演」の版間の差分

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1968年(昭和43年)、既に[[SM聖地|カシバシ座]]でのピンク実演に劇団「炎」<ref group="注">青木マリ、水咲陽子などが出演。[[濡木痴夢男]]が「炎」のためにいくつか脚本を書いている。</ref>が加わっている<ref name="seijin"></ref>。
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1971年(昭和46年)、[[浅草フランス座|浅草東洋劇場]]にいた[[杉浦則夫]]が[[団鬼六]]の鬼プロに参加。[[たこ八郎]]が中心の鬼プロピンク実演の第1回目の制作に関わる。
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2010年7月4日 (日) 15:34時点における版

ぴんくじつえん 「ピンク芝居」などとも呼ばれる。

別名

english

主な出来事

1966年(昭和41年)、カシバシ座での劇団「赤と黒」の芝居がピンク実演の走りとされる。[1]

1967年(昭和42年)、銀座地球座が邦画名画座からピンク映画上映館に路線変更すると同時に、ピンク実演を開始。こけら落としに内田高子、松井康子谷ナオミが舞台挨拶[1]

1968年(昭和43年)、既にカシバシ座でのピンク実演に劇団「炎」[注 1]が加わっている[1]

1969年(昭和44年)、奇譚クラブ1月号「奇クサロン」に谷ナオミの実演の観劇レポートが[注 2]

1971年(昭和46年)、浅草東洋劇場にいた杉浦則夫団鬼六の鬼プロに参加。たこ八郎が中心の鬼プロピンク実演の第1回目の制作に関わる。

エピソード

代表作

引用文献

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 成人映画』1968年(昭和43年)4月号(通算28号)の「ピンク実演:決定的瞬間を生で見る迫力」より
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 南彦造「演劇批評:『残酷劇』見たまま」奇譚クラブ1969年(昭和44年)8月号
  3. 濡木痴夢男『濡木痴夢男のおしゃべり芝居』

注釈

  1. 青木マリ、水咲陽子などが出演。濡木痴夢男が「炎」のためにいくつか脚本を書いている。
  2. 渋谷のC座。ヤマベプロ作『人妻地獄』で団鬼六脚本。看板には「奇譚クラブ連載<花と蛇>より」と。三景。谷ナオミ、鈴木通人、南弘二、竹原あこ。併映は『鞭と淫獣』。

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