「中村笑子」の版間の差分
提供:SMpedia
(→略歴) |
編集の要約なし |
||
1行目: | 1行目: | ||
[[画像:emikonakamura.jpg|250px|thumbnail|中村笑子]] | [[画像:emikonakamura.jpg|250px|thumbnail|中村笑子]] | ||
'''なかむら えみこ'''、1918年(大正7年)頃-?。[[ | '''なかむら えみこ'''、1918年(大正7年)頃-?。[[日劇ダンシングチーム]]第一期生。戦後エロ文化の幕開とも言える1947年(昭和22年)1月1日、[[帝都座]]五階劇場のオープンとして上演された『ヴィナスの誕生』でヴィナス役。 | ||
==概要== | ==概要== | ||
11行目: | 11行目: | ||
1918年(大正7年)頃、銀座のおでん屋「お多幸」の娘として生まれる<ref name="warera">[[田中小実昌]]、吉村平吉、[[メリー松原]]、[[正邦乙彦]]、樋口四郎『われら線中ストリップ派』in 「カストリ復刻版」[[日本出版社]], 1975年(昭和50年)</ref>。 | 1918年(大正7年)頃、銀座のおでん屋「お多幸」の娘として生まれる<ref name="warera">[[田中小実昌]]、吉村平吉、[[メリー松原]]、[[正邦乙彦]]、樋口四郎『われら線中ストリップ派』in 「カストリ復刻版」[[日本出版社]], 1975年(昭和50年)</ref>。 | ||
1936年(昭和11年)、[[ | 1936年(昭和11年)、[[日劇ダンシングチーム]]第一期生。 | ||
1937年(昭和12年)頃、渡米。ロサンジェルス在住の松本幹と結婚<ref name="nichigeaki">「日劇レビュ-史」106~107p</ref>。 | 1937年(昭和12年)頃、渡米。ロサンジェルス在住の松本幹と結婚<ref name="nichigeaki">「日劇レビュ-史」106~107p</ref>。 | ||
19行目: | 19行目: | ||
戦中は軍隊慰問。 | 戦中は軍隊慰問。 | ||
1945年(昭和20年) 頃、戦後は[[ | 1945年(昭和20年) 頃、戦後は[[日劇ダンシングチーム]]後輩の指導をおこなっていた。 | ||
1947年(昭和22年)1月1日、[[帝都座]]五階劇場のオープンとして上演された『ヴィナスの誕生』でヴィナス役。 | 1947年(昭和22年)1月1日、[[帝都座]]五階劇場のオープンとして上演された『ヴィナスの誕生』でヴィナス役。 | ||
1948年(昭和23年)11月、『陽気なプラジレイラ』を最後に[[ | 1948年(昭和23年)11月、『陽気なプラジレイラ』を最後に[[日劇ダンシングチーム]]を退団。夫の待つ米国に渡る<ref name="nichigeaki"></ref>。 | ||
==エピソード== | ==エピソード== |
2020年5月26日 (火) 08:17時点における最新版
なかむら えみこ、1918年(大正7年)頃-?。日劇ダンシングチーム第一期生。戦後エロ文化の幕開とも言える1947年(昭和22年)1月1日、帝都座五階劇場のオープンとして上演された『ヴィナスの誕生』でヴィナス役。
概要
ストリップの起源とも言われる帝都座での1947年(昭和22年)1月1日の第1回公演『ヴィナスの誕生』でヴィナス役。この時のプロローグの『額縁ショー』で乳房を露わにしたモデルだったという説もあるが、このモデルは甲斐美和だったとする説もある[1]。
別名
english、松本エミ(本名)
略歴
1918年(大正7年)頃、銀座のおでん屋「お多幸」の娘として生まれる[2]。
1936年(昭和11年)、日劇ダンシングチーム第一期生。
1937年(昭和12年)頃、渡米。ロサンジェルス在住の松本幹と結婚[3]。
1940年(昭和15年)頃、単身帰国[3]。
戦中は軍隊慰問。
1945年(昭和20年) 頃、戦後は日劇ダンシングチーム後輩の指導をおこなっていた。
1947年(昭和22年)1月1日、帝都座五階劇場のオープンとして上演された『ヴィナスの誕生』でヴィナス役。
1948年(昭和23年)11月、『陽気なプラジレイラ』を最後に日劇ダンシングチームを退団。夫の待つ米国に渡る[3]。
エピソード
- 渡米修行の経験があり。
代表作
引用文献
注釈