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'''おき しょうじ'''、1922年(大正11年)4月16日-。大正生まれの絵師・劇画家。東京芸大で油絵専攻。「[[千一夜]]」から始まり「[[風俗奇譚]]」「[[裏窓]]」など数多くのSM雑誌に挿絵・劇画。[[団鬼六]]とのコンビ作も多い。
==概要==
絵師。劇画家。[[裏窓]]、[[風俗奇譚]]を皮切りに、[[鬼プロ]]、[[サン出版]]、[[三和出版]]、[[司書房]]、[[ミリオン出版]]が発行した[[SMクラブ]]、[[SM秘小説]]などに作品を発表。
==別名==
沖渉司、桜井五郎、帯刀惇、美影栄
==略歴==
1922年(大正11年)4月16日、兵庫県住吉生まれ、大阪育ち。
 
1940年頃、市岡高校入学<ref name="nawakouyuu2">[[須磨利之|美濃村晃]]『'''縄の交友録第2回 「奇譚クラブ」の初期の人々'''』 緊美研通信第5号 1990年(平成2年)8月1日</ref>。
 
1945年(昭和20年)頃、復員後は進駐軍デザイン部に在籍<ref name="kuroda">黒田氏情報@[[貴重な情報発信サイト|風俗文献談話室]]</ref>。
 
東京美術学校(現、東京芸術大学)で油絵<ref name="gekiga">[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4434046837?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4434046837 『団鬼六原作劇画集成 (第1弾)』(マガジン・ファイブ, 2004)]</ref>。
 
1947年(昭和22年)頃、洋画の看板絵描きを始める<ref name="kuroda"></ref>。
 
1953年(昭和28年)春頃、『[[千一夜]]』<ref group="注">当時の編集人は有吉玄蔵。</ref>の表紙・挿絵を描き始める<ref name="gekiga"></ref><ref name="kuroda"></ref>。
 
1954年(昭和29年)、『'''[[楽園]]'''』(『[[千一夜]]』の改題)8月号、9月号の表紙「Okishio」のサインは[[沖渉二]]の可能性<ref name="kuroda"></ref>。
 
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1980年代後半から別画名で活躍<ref name="gekiga"></ref>。
 
2012年(平成24年)2月27日〜3月10日、[[ヴァニラ画廊]]にて【[[沖渉二]]生誕90周年記念】[[沖渉二]]原画展「幻想の 躁宴(オルギア)」
==エピソード==
*[[須磨利之]]が[[沖渉二]]を[[団鬼六]]に紹介する。1972年(昭和47年)頃<ref name="gekiga"></ref>。
*[[館淳一]]「[[沖渉二]]さんの絵は女性の表情と、衣服とくに下着の描写が私好みで好きでした。」(2016.1.2, FaceBook)
 
==作品==
*獅々材裕『鞭と尻と師走の風』[[風俗奇譚]]1961年(昭和36年)2月号, [http://nawa-art.com/etc/fk/FK196112/036.html p48]の挿絵。
*画集『[[縄と女]]』編集・譚奇会 1970年12月10日発行 三崎書房
*[[須磨利之|美濃村晃]]『肉地獄』Joy Comics, 1977年
*[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4434046837?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4434046837 『団鬼六原作劇画集成 (第1弾)』(マガジン・ファイブ, 2004)]
*『[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4861355095/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4861355095 '''秘禁縄淫画廊''']』([[マイウェイ出版]], 2008)
*[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4861356180?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4861356180 『愛艶三千世界―好淫の媚を競う』(マイウェイ出版, 2009)』]、([[椋陽児]]、[[笠間しろう]]、[[沖渉二]]のイラスト集)
*結城彩雨『[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4829675527/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4829675527 '''五つの罪 若妻 美臀裁判''']』(フランス書院, 2010)(イラスト:[[桐丘裕詩]]、[[楡畑雄二]]、[[沖渉二]])
 
== 引用文献==
<references/>
==注釈==
<references group="注"/>
==お役たちweb==
*[http://gureda.kir.jp/kyoukaku/irasuto/kyoukakumannga.html 女侠客漫画]
==つながり==
[[須磨利之]]
[[団鬼六]]
 
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[[Category:絵師]]
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藤田秀弥華麗なる遍歴』 (挿絵:沖渉二)別冊SMファン1972年(昭和47年)12月号より

おき しょうじ、1922年(大正11年)4月16日-。大正生まれの絵師・劇画家。東京芸大で油絵専攻。「千一夜」から始まり「風俗奇譚」「裏窓」など数多くのSM雑誌に挿絵・劇画。団鬼六とのコンビ作も多い。

概要

絵師。劇画家。裏窓風俗奇譚を皮切りに、鬼プロサン出版三和出版司書房ミリオン出版が発行したSMクラブSM秘小説などに作品を発表。

別名

沖渉二沖渉司桜井五郎帯刀惇美影栄

略歴

1922年(大正11年)4月16日、兵庫県住吉生まれ、大阪育ち。

1940年頃、市岡高校入学[1]

1945年(昭和20年)頃、復員後は進駐軍デザイン部に在籍[2]

東京美術学校(現、東京芸術大学)で油絵[3]

1947年(昭和22年)頃、洋画の看板絵描きを始める[2]

1953年(昭和28年)春頃、『千一夜[注 1]の表紙・挿絵を描き始める[3][2]

1954年(昭和29年)、『楽園』(『千一夜』の改題)8月号、9月号の表紙「Okishio」のサインは沖渉二の可能性[2]

1955年(昭和30年)頃、『楽園』を機に、(恐らく)有吉玄蔵[注 2]と上京。[3][2]

1957年(昭和32年)、須磨利之と知り合う[4]

1958年(昭和38年)、有吉玄蔵の紹介で裏窓の沢敏康『人魚と短剣』の挿絵[2]

1972年(昭和47年)2月1日、『緊縛美』創刊号に沖渉司で挿絵。

1973年(昭和48年)5月21日、鬼プロサン出版の企画による箱根での慰労会[5]。出席者は団鬼六美濃村晃堂昌一小日向一夢千草忠夫安芸蒼太郎小妻容子前田寿安沖渉二古正英生東桂史中島喜美織裳雪夫松井籟子蘭光生天堂寺慎山田彬弘曽我部泰佐藤重臣ネコ、マリ。

1980年代後半から別画名で活躍[3]

2012年(平成24年)2月27日〜3月10日、ヴァニラ画廊にて【沖渉二生誕90周年記念】沖渉二原画展「幻想の 躁宴(オルギア)」

エピソード

作品

ギャラリー

引用文献

  1. 美濃村晃縄の交友録第2回 「奇譚クラブ」の初期の人々』 緊美研通信第5号 1990年(平成2年)8月1日
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 黒田氏情報@風俗文献談話室
  3. 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 『団鬼六原作劇画集成 (第1弾)』(マガジン・ファイブ, 2004)
  4. SMキング1973年5月号
  5. SMキング1973年(昭和48年)8月号に紹介記事

注釈

  1. 当時の編集人は有吉玄蔵
  2. 有吉玄蔵日本文華社に勤める。

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つながり

須磨利之 団鬼六