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2012年11月26日 (月) 08:27時点における最新版
いとう とら、1855年(安政2年)ー1897年(明治30年)6月
概要
伊藤晴雨の母親。
別名
トラ
略歴
1855年(安政2年)、河内国丹南藩家老西村駒平定保・壽目の次女として誕生。兄は西村定中、叔母は菊、姉は千勢[1]。
1860年(万延元年)、定保が永眠し、西村定中が跡目を相続[1]。
1882年(明治15年)3月3日、伊藤晴雨誕生。
エピソード
- 和漢の学を修め書に秀でていた[1]。
- 小太刀、薙刀の妙手であった[1]。
- 「母は武家の育ちで不美人。」とある[2]。
- 「母の兄は才能はないが学がある。酒好きで父と仲が良い。」とある[2]。
- 「母方の祖母は読書を好み、5才の伊藤晴雨に柳亭種彦の『偐紫田舎源氏[注 1]』の話をしばしば聞かせた。」とある[2]。
- 「7歳の時母から中将姫の雪責めの物語を聞かされる。」とある[2]。