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1923年(大正12年)1月号、春陽堂から『'''文藝春秋'''』創刊。 | |||
1930年(昭和5年)、文藝春秋社から『'''モダン日本'''』創刊<ref group="注">2年後にモダン日本社として独立。戦時中は『新太陽』に改名、戦後は新太陽社から復刊。1950年に『'''別冊モダン日本'''』として再生。1951年に廃刊。『'''別冊モダン日本'''』を作っていた牧野英二が[[吉行淳之介]]、津久井柾章(名和青朗・名和左膳)と共に[[三世社]]を設立。</ref>。 | 1930年(昭和5年)、文藝春秋社から『'''モダン日本'''』創刊<ref group="注">2年後にモダン日本社として独立。戦時中は『新太陽』に改名、戦後は新太陽社から復刊。1950年に『'''別冊モダン日本'''』として再生。1951年に廃刊。『'''別冊モダン日本'''』を作っていた牧野英二が[[吉行淳之介]]、津久井柾章(名和青朗・名和左膳)と共に[[三世社]]を設立。</ref>。 | ||
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1933年(昭和8年)、[[富永謙太郎]]が[[菊池寛]]の新聞小説「結婚街道」の挿絵でデビュー。 | 1933年(昭和8年)、[[富永謙太郎]]が[[菊池寛]]の新聞小説「結婚街道」の挿絵でデビュー。 | ||
1933年(昭和8年)3月、『'''[[話]]'''』(文藝春秋社)創刊。 | 1933年(昭和8年)3月、『'''[[話]]'''』(文藝春秋社)創刊。 | ||
1935年(昭和10年)、「'''直木賞'''」の設置。 | |||
1945年(昭和20年)3月、戦火が激しくなり『'''文藝春秋'''』が休刊。 | |||
1945年(昭和20年)10月、『'''文藝春秋'''』復刊。 | |||
1946年(昭和21年)3月、[[菊池寛]]は'''文藝春秋社'''を解散。佐々木茂索が'''文藝春秋新社'''を設立。 | |||
1946年(昭和21年)6月、進駐軍に、それまでいた大阪ビルの接収を受け、その裏の幸ビルに移転。 | |||
1947年(昭和22年)10月、[[菊池寛]]と佐々木茂索は公職追放。 | |||
1948年(昭和23年)、『'''[[話]]'''』の出版権を[[増永善吉]]に譲る<ref group="注">1949年(昭和24年)6月には『[[夫婦生活]]』と改題。</ref>。 | 1948年(昭和23年)、『'''[[話]]'''』の出版権を[[増永善吉]]に譲る<ref group="注">1949年(昭和24年)6月には『[[夫婦生活]]』と改題。</ref>。 | ||
1948年(昭和23年)3月6日、狭心症により永眠。 | |||
==エピソード== | ==エピソード== | ||
*[[菊池寛]]の文藝春秋社と[[鱒書房]]は同じ内幸町の幸ビルにあり、[[菊池寛]]と[[増永善吉]]は旧知の仲であった<ref name="hanada">[http://www.zassi.net/contents/fuunroku.html 花田紀凱の戦後雑誌風雲録]</ref>。 | *[[菊池寛]]の文藝春秋社と[[鱒書房]]は同じ内幸町の幸ビルにあり、[[菊池寛]]と[[増永善吉]]は旧知の仲であった<ref name="hanada">[http://www.zassi.net/contents/fuunroku.html 花田紀凱の戦後雑誌風雲録]</ref>。 | ||
*[[秦豊吉]]、久米正雄、山本有三、[[菊池寛]]とは第一高等学枚時代の同級生。 | |||
==代表作== | ==代表作== |
2011年10月7日 (金) 12:41時点における最新版
きくち かん、1888年(明治21年)12月26日 - 1948年(昭和23年)3月6日
概要
小説家としても有名だが、雑誌関係の実業家としても活躍。特に、『夫婦生活』や東京三世社につながる雑誌を創刊していることに注目したい。
別名
略歴
1888年(明治21年)12月26日、香川県高松に生まれる。
1923年(大正12年)1月号、春陽堂から『文藝春秋』創刊。
1930年(昭和5年)、文藝春秋社から『モダン日本』創刊[注 1]。
1932年(昭和7年)頃、『文藝春秋』の座談会で菊池寛が秦豊吉に小林一三を紹介[1]。
1933年(昭和8年)、富永謙太郎が菊池寛の新聞小説「結婚街道」の挿絵でデビュー。
1933年(昭和8年)3月、『話』(文藝春秋社)創刊。
1935年(昭和10年)、「直木賞」の設置。
1945年(昭和20年)3月、戦火が激しくなり『文藝春秋』が休刊。
1945年(昭和20年)10月、『文藝春秋』復刊。
1946年(昭和21年)3月、菊池寛は文藝春秋社を解散。佐々木茂索が文藝春秋新社を設立。
1946年(昭和21年)6月、進駐軍に、それまでいた大阪ビルの接収を受け、その裏の幸ビルに移転。
1947年(昭和22年)10月、菊池寛と佐々木茂索は公職追放。
1948年(昭和23年)、『話』の出版権を増永善吉に譲る[注 2]。
1948年(昭和23年)3月6日、狭心症により永眠。
エピソード
代表作
引用文献
- ↑ 『特集:ヴィーナスの誕生』季刊『the 座』第22号(こまつ座, 1992)
- ↑ 花田紀凱の戦後雑誌風雲録