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1947年(昭和22年) | 1947年(昭和22年)12月:[[新宿地球座]]・新宿座(後の新宿ジョイシネマ)開館。 | ||
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1965年1(昭和40年)1月:ジョイパックフィルム株式会社(現在のヒューマックスシネマの前身)設立。 | 1965年1(昭和40年)1月:ジョイパックフィルム株式会社(現在のヒューマックスシネマの前身)設立。 | ||
1967年(昭和42年)、邦画名画座から[[ピンク映画]]上映館に路線変更すると同時に、[[ピンク実演]]を開始。こけら落としに[[内田高子]]、[[松井康子]]、[[谷ナオミ]]が舞台挨拶<ref name="seijin">『[[成人映画]]』1968年(昭和43年)4月号(通算28号) | 1967年(昭和42年)、邦画名画座から[[ピンク映画]]上映館に路線変更すると同時に、[[ピンク実演]]を開始。こけら落としに[[内田高子]]、[[松井康子]]、[[谷ナオミ]]が舞台挨拶<ref name="seijin">『[[成人映画]]』1968年(昭和43年)4月号(通算28号)の「[[ピンク実演]]:決定的瞬間を生で見る迫力」より</ref>。 | ||
1967年(昭和42年)10月:池袋地球会館(豊島区南池袋1-21-2)落成。 | 1967年(昭和42年)10月:池袋地球会館(豊島区南池袋1-21-2)落成。 | ||
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1983年:[[新宿地球座]]が「歌舞伎町松竹」(後の新宿ジョイシネマ2)に館名変更。松竹映画の封切館となる。 | |||
1987年7月:[[恵通企業]]を株式会社[[ヒューマックス]]に社名変更。 | |||
1989年、「[[銀座地球座]]」と「銀座名画座」を合体分割して「銀座シネパトス」に。 | |||
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*ビートたけしがよく通った映画館が[[地球座]]です。「…「当時、新宿に『[[地球座]] | *ビートたけしがよく通った映画館が[[地球座]]です。「…「当時、新宿に『[[地球座]]』というピンク映画館がありまして、よく2人で観に行ってました。映画の問に福島県(拳弘二)さんという方のコント([[実演ヌードショー]])があつてそれを見ているうちに 『俺もコメディアンを目指さなきやいけないんだ』 と思い出したように言い始めてました。」(南池袋時代の同居人・五十嵐誠氏)…」 | ||
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http://www.asahi-net.or.jp/~ia6t-tkhs/shinjukuchikyuza.htm | http://www.asahi-net.or.jp/~ia6t-tkhs/shinjukuchikyuza.htm | ||
http://a.sanpal.co.jp/hokutoh/shibuya/ebisu.html | http://a.sanpal.co.jp/hokutoh/shibuya/ebisu.html | ||
==つながり== | ==つながり== |
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ちきゅうざ
概要
恵通グループの映画館の名前で、新宿地球座、銀座地球座、池袋地球座、渋谷地球座、錦糸町地球座があった。一時期、ピンク映画の上映と併せてピンク実演をおこなっていた。
別名
地球座 銀座地球座 渋谷地球座 新宿地球座 新宿地球会館 池袋地球座 池袋地球会館 錦糸町地球座 恵通グループ 恵通企業
所在地
新宿地球座は歌舞伎町の地球会館の4Fにあった。他には新宿座と地球飯店やムーランルージュが入っていた。現在の新宿ジョイシネマ2
歴史
1947年(昭和22年)4月:林瑞祥がムーランルージュ新宿座を買収。劇場経営に着手する。
1947年(昭和22年)12月:新宿地球座・新宿座(後の新宿ジョイシネマ)開館。
1948年(昭和23年)5月:現在のヒューマックスグループの前身となる恵通企業株式会社を設立。
1958年(昭和33年)12月:新宿地球会館落成。
1965年1(昭和40年)1月:ジョイパックフィルム株式会社(現在のヒューマックスシネマの前身)設立。
1967年(昭和42年)、邦画名画座からピンク映画上映館に路線変更すると同時に、ピンク実演を開始。こけら落としに内田高子、松井康子、谷ナオミが舞台挨拶[1]。
1967年(昭和42年)10月:池袋地球会館(豊島区南池袋1-21-2)落成。
1968年(昭和43年)11月5日、渋谷地球座・銀座地球座にて『ブルーフィルムの女』全3景。作:団鬼六、演出:岸信太郎、製作:ヤマベプロ、出演:谷ナオミ、山石映子、太古八郎、南浩二。池袋地球座にて『女子学生の肌を狙え』全4景。作:団鬼六、演出:岸信太郎、製作:ヤマベプロ、出演:水咲陽子、青木マリ、坂本昭、渡辺充雄[2]。
1969年(昭和44年)から、団鬼六の鬼プロ所属のたこ八郎劇団がピンク実演をやっていた。
1969年(昭和44年)3月、スター24時間1969年(昭和44年)3月増刊号で銀座地球座が紹介。
- 「カジバシ座と少し違うのは、特定の劇団の出入りではなく、独立プロのビンク女優をヒロインに、機に応して、外部のプロダクションが持込みの型で公演することだ。」
- 『婦女暴行奇談』(辰巳のり子)の紹介。
- 『色情狂綺譚』(ヤマベプロ、谷ナオミ、桂奈美)の紹介。
1970年(昭和45年)、谷ナオミの池袋地球座での舞台写真が別冊「現代小説」1970年(昭和45年)2月, 第11集に収録。
1983年:新宿地球座が「歌舞伎町松竹」(後の新宿ジョイシネマ2)に館名変更。松竹映画の封切館となる。
1987年7月:恵通企業を株式会社ヒューマックスに社名変更。
1989年、「銀座地球座」と「銀座名画座」を合体分割して「銀座シネパトス」に。
エピソード
- ビートたけしがよく通った映画館が地球座です。「…「当時、新宿に『地球座』というピンク映画館がありまして、よく2人で観に行ってました。映画の問に福島県(拳弘二)さんという方のコント(実演ヌードショー)があつてそれを見ているうちに 『俺もコメディアンを目指さなきやいけないんだ』 と思い出したように言い始めてました。」(南池袋時代の同居人・五十嵐誠氏)…」
- 銀座地球座の支配人は黛隆夫[3]
引用文献
注釈
お役たちweb
http://www.asahi-net.or.jp/~ia6t-tkhs/shinjukuchikyuza.htm
http://a.sanpal.co.jp/hokutoh/shibuya/ebisu.html