「小悪征夫」の版間の差分

提供:SMpedia
編集の要約なし
 
(同じ利用者による、間の26版が非表示)
1行目: 1行目:
'''こあく ゆきお'''、1943年(昭和18年)-
[[画像:Koaku1.jpg|250px|thumbnail|[[小悪征夫]]『'''獣の涙'''』in [[SMキング]]1975年(昭和50年)1月号]]
'''こあく ゆきお'''、1943年(昭和18年)-。1943年(昭和18年)生まれの絵師。[[志村立美]]の門下生。[[団鬼六]]とのコンビ作多い。[[サスペンスマガジン]]、[[SMファン]]、[[SMキング]]、[[S&Mスナイパー]]など多数。


==概要==
==概要==
[[サスペンスマガジン]]、[[SMファン]]、[[別冊SMファン]]、[[SMキング]]、[[S&Mスナイパー]]、[[SMクラブ]]、[[SMコマンド]]、[[SMフェニックス]]、[[スパークSM]]、[[ヤングV]]、[[漫画ダイナマイト]]
絵師。挿絵画家。劇画家。[[団鬼六]]、[[西村京太郎]]、[[島田一男]]、[[中岡俊哉]]、[[大下英治]]、[[船戸与一]]などの挿絵を描く。[[サスペンスマガジン]]、[[SMファン]]、[[別冊SMファン]]、[[SMキング]]、[[S&Mスナイパー]]、[[SMクラブ]]、[[SMコマンド]]、[[SMフェニックス]]、[[スパークSM]]、[[ヤングV]]、[[漫画ダイナマイト]]などに作品発表。


==別名==
==別名==
8行目: 9行目:


==略歴==
==略歴==
1943年(昭和18年)、誕生。
父親はニューギニアで戦士。母親は埼玉で学校の教師<ref name="hentaiteki"></ref>。
1950年代、母親が死去。兄と姉と亀有で生活。画家を目指す<ref name="hentaiteki"></ref>。
1958年(昭和33年)頃、日立市の親戚の家に移り、高校入学。やがて都内の叔父の下に移り、都立高校に入るが退学。美術学校に通う<ref name="hentaiteki"></ref>。
1961年(昭和36年)頃、[[志村立美]]に弟子入りして、田園調布の[[志村立美]]宅に住み込み<ref name="hentaiteki"></ref>。
1963年(昭和38年)頃、[[志村立美]]から[[小悪征夫]]の名をもらい独立<ref name="hentaiteki"></ref>。
1963年(昭和38年)頃、お茶の水の[[レモン]]で[[井上洋介]]と知り合う。その伝手で雑誌の挿絵の仕事が入る<ref name="hentaiteki"></ref>。
1960年代、[[久保書店]]を紹介され[[サスペンスマガジン]]などの挿絵<ref name="hentaiteki"></ref>。
1960年前後、[[花巻京太郎]]時代の[[団鬼六]]と知り合う<ref name="hentaiteki"></ref>。
1970年代、風景画に興味を持ち出す<ref name="hentaiteki"></ref>。
1975年(昭和50年)2月、[[SMキング]]2月号に『'''[[小悪征夫]]の世界'''』としてカラー作品が数点掲載。
1982年(昭和57年)10月1日、[[SMスパイダー]]10月創刊号の表紙や挿絵。
1982年(昭和57年)10月1日、[[SMスパイダー]]10月創刊号の表紙や挿絵。
1987年(昭和62年)4月21-26日、ロイヤルサロンギンザにて『'''出版画実術家連盟8人展<艶>'''』。[[小妻要]]、[[小悪征夫]]、[[堂昌一]]、[[沢登みよじ]]、[[レオ澤鬼]]、[[西村春海]]、[[日影眩]]、[[前田寿安]]。


==エピソード==
==エピソード==
*[[小悪征夫]]は師匠である[[志村立美]]が命名<ref name="hentaiteki"></ref>。
*[[小悪征夫]]は師匠である[[志村立美]]が命名<ref name="hentaiteki"></ref>。
*高校の頃居候していた叔父は図書館長をしており、その時、多くの本を読んだ<ref name="hentaiteki"></ref>。
*尾崎士郎の知り合いの女性が[[志村立美]]に紹介状を書いてくれた<ref name="hentaiteki"></ref>。
*[[三崎書房]]の『幻想と怪奇』のイラストを書いていた縁で、[[三崎書房]]倒産後に[[早川佳克]]を[[司書房]]に紹介<ref>[[早川佳克]]の[http://web.archive.org/web/20011201035727/http://hige.32ch.com/core.html HP]より。</ref>。
*[[三崎書房]]の『幻想と怪奇』のイラストを書いていた縁で、[[三崎書房]]倒産後に[[早川佳克]]を[[司書房]]に紹介<ref>[[早川佳克]]の[http://web.archive.org/web/20011201035727/http://hige.32ch.com/core.html HP]より。</ref>。
*挿絵、風景画、劇画と幅を広げていく<ref name="hentaiteki"></ref>。
*「風景画には、おれの暗さが出る」<ref name="hentaiteki"></ref>。
*[[サスペンスマガジン]]の仕事あたりから「女を描くってことを意識」<ref name="hentaiteki"></ref>。
*「福島正実編集長時代の早川の『EQMM 』に一度描き、それを見て学研から『ドラキュラ』の画を描いてくれという注文が来た」<ref name="hentaiteki"></ref>。
*「おれのSM画はポルノの延長なんだと思っている。病気みたいなSMはダメだね。だからSMとしては本格的じゃないね」<ref name="hentaiteki"></ref>。
==代表作==
==代表作==
*『ファントマ』ハヤカワ文庫
*『ファントマ』ハヤカワ文庫
*『タイム・マシン』角川文庫
*『タイム・マシン』角川文庫
*[[四方雅人]]『'''[[新訳本朝画人伝]] 夜の情景 [[小悪征夫]]'''』[[S&Mスナイパー]]1987年(昭和62年)5月号
==[[小悪征夫]]を題材とした記事==
*[[永江朗]]『'''[[小悪征夫]] 絵師のダンディズム'''』[[TOPAZ]] 発進準備号 1990年(平成2年)
==ギャラリー==
<gallery>
画像:Koaku03.png|[[SMキング]] 1974年(昭和49年)6・7月号より。
画像:Koaku02.png|[[別冊SMファン]] 1974年(昭和49年)7月号。
画像:Koaku05.png|[[小悪征夫]]『'''悪い夜'''』[[SMキング]] 1974年(昭和49年)11月号より。
画像:Koaku04.png|[[六本木薫]]『'''縄の履歴書 門出の繩景'''』[[SMクラブ]]1979年(昭和54年)7月号より。
画像:Koaku06.png|[[小悪征夫]] [[SMファン]]1981年(昭和56年)12月増刊号『'''[[SMエロス]]'''』表紙。
画像:Koaku07.png|[[小悪征夫]]『'''繩連ゴシップ女優'''』 [[SMファン]]1981年(昭和56年)12月増刊号『'''[[SMエロス]]'''』より。
画像:Koaku08.png|[[小悪征夫]] [[SMファン]]1982年(昭和57年)4月号扉イラスト
</gallery>
== 引用文献==
== 引用文献==
<references/>
<references/>

2024年2月16日 (金) 16:04時点における最新版

小悪征夫獣の涙』in SMキング1975年(昭和50年)1月号

こあく ゆきお、1943年(昭和18年)-。1943年(昭和18年)生まれの絵師。志村立美の門下生。団鬼六とのコンビ作多い。サスペンスマガジンSMファンSMキングS&Mスナイパーなど多数。

概要

絵師。挿絵画家。劇画家。団鬼六西村京太郎島田一男中岡俊哉大下英治船戸与一などの挿絵を描く。サスペンスマガジンSMファン別冊SMファンSMキングS&MスナイパーSMクラブSMコマンドSMフェニックススパークSMヤングV漫画ダイナマイトなどに作品発表。

別名

小悪一之[1]、亀有住男[1]、小圷(こあつく)征夫(本名)[1]

略歴

1943年(昭和18年)、誕生。

父親はニューギニアで戦士。母親は埼玉で学校の教師[1]

1950年代、母親が死去。兄と姉と亀有で生活。画家を目指す[1]

1958年(昭和33年)頃、日立市の親戚の家に移り、高校入学。やがて都内の叔父の下に移り、都立高校に入るが退学。美術学校に通う[1]

1961年(昭和36年)頃、志村立美に弟子入りして、田園調布の志村立美宅に住み込み[1]

1963年(昭和38年)頃、志村立美から小悪征夫の名をもらい独立[1]

1963年(昭和38年)頃、お茶の水のレモン井上洋介と知り合う。その伝手で雑誌の挿絵の仕事が入る[1]

1960年代、久保書店を紹介されサスペンスマガジンなどの挿絵[1]

1960年前後、花巻京太郎時代の団鬼六と知り合う[1]

1970年代、風景画に興味を持ち出す[1]

1975年(昭和50年)2月、SMキング2月号に『小悪征夫の世界』としてカラー作品が数点掲載。

1982年(昭和57年)10月1日、SMスパイダー10月創刊号の表紙や挿絵。

1987年(昭和62年)4月21-26日、ロイヤルサロンギンザにて『出版画実術家連盟8人展<艶>』。小妻要小悪征夫堂昌一沢登みよじレオ澤鬼西村春海日影眩前田寿安

エピソード

  • 小悪征夫は師匠である志村立美が命名[1]
  • 高校の頃居候していた叔父は図書館長をしており、その時、多くの本を読んだ[1]
  • 尾崎士郎の知り合いの女性が志村立美に紹介状を書いてくれた[1]
  • 三崎書房の『幻想と怪奇』のイラストを書いていた縁で、三崎書房倒産後に早川佳克司書房に紹介[2]
  • 挿絵、風景画、劇画と幅を広げていく[1]
  • 「風景画には、おれの暗さが出る」[1]
  • サスペンスマガジンの仕事あたりから「女を描くってことを意識」[1]
  • 「福島正実編集長時代の早川の『EQMM 』に一度描き、それを見て学研から『ドラキュラ』の画を描いてくれという注文が来た」[1]
  • 「おれのSM画はポルノの延長なんだと思っている。病気みたいなSMはダメだね。だからSMとしては本格的じゃないね」[1]

代表作

小悪征夫を題材とした記事

ギャラリー

引用文献

  1. 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 1.13 1.14 1.15 1.16 1.17 1.18 1.19 平岡正明小悪征夫、絵は気ッ風と度胸の空ッ風』in 「変態的」(ビレッジセンター出版局, 1996) 
  2. 早川佳克HPより。

注釈


お役たちweb

つながり