谷山久美子
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たにやま くみこ、1940年(昭和15年)5月10日ー、
概要
略歴
1940年(昭和15年)5月10日、岡山県倉敷市に生まれる[2]。
1958年(昭和33年)7月、奇譚クラブを始めて購読[2]。
1960年(昭和35年)9月、金属関係の会社に就職[2]。
1964年(昭和39年)12月、結婚の準備のために退職するがやがて破談[2]。
1965年(昭和40年)6月、洋家具店の事務員[2]。
1966年(昭和41年)2月、S男性と巡り会い、退社して同棲するが、3ヶ月後に男性は逃げ去る[2]。
1968年(昭和43年)1月、奇譚クラブの編集室気付で山本一章に手紙を出しプレイを希望[2]。
1968年(昭和43年)3月3日、岡山にて山本一章とのプレイ開始[2]。
1968年(昭和43年)7月30日、大阪にて山本一章と辻村隆から3P調教[2]。
1968年(昭和43年)11月、結婚して愛知県豊橋市に移住[2]。
1968年(昭和43年)12月25日、辻村隆と単独プレイ。その後5回[2]。
1969年(昭和44年)4月、佐久間輝を紹介され、京都にて辻村隆を交えた3P[2]。
1971年(昭和46年)頃、奇譚クラブ1972年(昭和47年)1月号の読者通信に「今は広島県の福山市にいます」と。
1978年(昭和53年)頃、結婚[3]。
エピソード
- 名前は山本一章が奇譚クラブ1968年(昭和43年)6月号の『カメラルポ この女と 谷山久美子の巻』を書く時につけた[4]
- 山本一章は1968-1978の10年間で37回、谷山久美子とプレイしている。谷山久美子はこの間数十人のマニアとプレイ[4]
関連作品
映画
- 『セックスドキュメント 性倒錯の世界』(東映, 1971.10.14) (企画:岡田茂 天尾完次、監督:中島貞夫、脚本:掛札昌裕 金子武郎 関本郁夫、撮影:増田敏雄、音楽:荒木一郎、出演:辻村隆 団鬼六 渡部好美 谷山久美子 東郷健 奈良林祥 渡辺淳一)
雑誌
- 山本一章『カメラルポ この女と 谷山久美子の巻』奇譚クラブ1968年(昭和43年)6月号, p224
- 辻村隆『SMカメラハント マゾヒスティク・アニマル』奇譚クラブ1970年(昭和45年)9月号, p102
- 辻村隆『SMカメラハント 凄絶!片足逆さ吊り』奇譚クラブ1971年(昭和46年)2月号, p154
- T.T生『谷山久美子を縛る』1971年(昭和46年)3月号, p236
- 花村次郎『憧れのメス犬 谷山久美子賛歌』1971年(昭和46年)5月号, p243
- 辻村隆『「性倒錯の世界」のSM描写』奇譚クラブ1971年(昭和46年)12月号, p10
- 谷山久美子『告白 私とプレイした人たち』奇譚クラブ1971年(昭和46年)12月号, p150
- 谷山久美子『(読者通信)』奇譚クラブ1972年(昭和47年)1月号, p162
- 谷山久美子『告白 私とプレイした人たち』奇譚クラブ1972年(昭和47年)1月号, p162
- 谷山久美子『(読者通信)』奇譚クラブ1972年(昭和47年)2月号, p263
- 谷山久美子『告白 私とプレイした人たち』奇譚クラブ1972年(昭和47年)3月号, p88
- 扇由紀夫『谷山久美子姉告白 「私とプレイした人達」雑感』奇譚クラブ1972年(昭和47年)4月号, p58
- 谷山くみこ[注 1]『倒錯の放浪記』 SM奇譚1976年(昭和51年)7月号, p80
- 山本一章『カメラルポ 「この女を」谷山久美子のこと(一)(二)』サンアンドムーン1978年(昭和53年)5月号, p8
- 山本一章『カメラルポ 「この女を」谷山久美子のこと(三)』サンアンドムーン1978年(昭和53年)6月号 ,p44
- 山本一章『カメラルポ 「この女を」続・谷山久美子のこと(一)』えすとえむ1980年(昭和55年)4月, 16号 p22
- 山本一章『カメラルポ 「この女を」続・谷山久美子のこと(二)』えすとえむ1980年(昭和55年)5月, 17号 p18
- 『思い出残るM女たち-Part.1 谷山久美子』SMミラージュ増刊第2号 1984年(昭和59年)1月, グラビア
主な写真
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奇譚クラブの分譲写真『Y組新百態(1971) 』54
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SM奇譚 1976年(昭和51年)6月号より。