水野好美
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みずの こうび、1863年(文久3年)9月24日-1928年(昭和3年)3月25日
概要
別名
略歴
1863年(文久3年)9月24日、兵庫県明石市に播磨明石藩士の長男として誕生。
洋画家を目指し上京。新小川町の本多錦吉郎の書塾に学び、狐芳と号して油絵師となる。
1891年(明治24年)、伊井蓉峰と男女合同改良演劇の「済美館」を結成。水野狐芳と名乗り初舞台。
1892年(明治25年)11月、 鳥越 での新派劇『安宅関義経問答 』の駿河役。
1893年(明治26年)、川上音二郎一座に入り、水野誉志美と改める。
1894年(明治27年)1月、浅草座での川上音二郎一座の『意外』がヒット。出演者は川上音二郎、小織桂一郎、伊井蓉峰、水野好美など。
1897年(明治30年)、御園座で新演劇好美団 水野好美・中野信近一座公演。
1898年(明治31年)、水野好美と河合武雄が常磐座に「奨励会」一座を組織。1905年頃まで常磐座で公演。
1899年(明治32年)、伊藤晴雨が水野好美一座の常磐座での「悪魔払い」の中の責め場に心を奪われる[1]。
浅草東京亭で寄席を経営。
1928年(昭和3年)3月25日、永眠
エピソード
伊藤晴雨『非小説『性液』』第8回
- 伊藤晴雨『非小説 性液(八)』奇譚クラブ1954年(昭和29年)9月号, p72 p73 p74 p75
- 豊吉は地方巡業を終えて東京に戻り、真砂座に出て居る頃の話。興行主は篠山吟葉。座長は柴田善太郎。山崎長之輔、若水美登里、中村秋幸などと。
- 中村友江は一時新橋の芸妓をしていたが、身請けされた模様。
- 細野は豊吉と分かれて志村松之助の一座に。
- 狂言は米光関月の『女相場師』。この中の娘を縛る場面を豊吉が。相手は久保田清という女形で、豊吉は細野の事を思い出す。
- かつて警視庁が日比谷公園の男娼を捕らえたところ、その大部分が先代中村歌右衛門の門弟だった。
- 豊吉はある夜、執念深く久保田清を口説いたが、横っ面をお見舞いされ、若水美登里のところに連れて行く。
- 若水美登里は本名を浜の助。畳屋の息子。常磐座で水野好美の弟子となる。オカマで奇譚クラブでも有名。
- 現在では引き幕は影も形もなくなったが、其の頃は緞帳幕は卑しいと用いなかった。帝国劇場が最初に用い始めた。
- 豊吉と若水美登里は同棲を始める。花井お梅の居たという家の裏。
- 若水美登里を芸妓の姿にして縛って居る時に、隣の中村友江が物騒がしくなり、曾我廼家五九郎が飛び込んでくる。中村友江に徳利で殴られたと逃げ去っていく。
- 場所が変わって銀座にオープンしたカフェーライオンで頭に怪我をした曾我廼家五九郎と竹波。カフェーの君子という女給が、新派俳優の女形、西原美津夫だという話をしている。
- この竹波、後の回で「尾竹々波」と出てくる。尾竹竹坡のことなのか、それをもじった、自分の投影なのか不明。
- 尾竹竹坡:おたけ ちくは。1878-1936。明治から昭和期の浮世絵師、日本画家。尾竹国観は弟。
代表作
引用文献
- ↑ 団鬼六『外道の群れ―責め絵師伊藤晴雨をめぐる官能絵巻』(1996, 朝日ソノラマ)
注釈