「ヒロセ元美」の版間の差分
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2020年4月11日 (土) 16:25時点における版
せい めい、19??年(昭和??年)-
概要
別名
略歴
1949年(昭和24年)、常磐座でメーリー松原ショー(振付:矢野英二)。ヒロセ元美が参加[1]
エピソード
- 1952年(昭和27年)1月の東京新聞記事「極端なエロ・グロで/再び活気をとりもどす:″額縁シヨウ″の誕生から五年目、空前の全盛時代を現出したストリツプ界も……女剣劇に圧倒され、ちよう落を唱える声も大きいが、事実は返つて極端なエロとグロを売物にし、昨年末来ものすごい勢で観客を呼んでいる/ヒロセ元美の巧妙なテクニツクでも、ハニー・ロイの魅力的な乳房でも、ストリツプに慣れた観客をつなぐことはできなくなつたこの世界は、昨年から「ストリツプ・フアツクル」(アクロバツト)を登場させ……、その内容はいずれも芸術などという香りはみじんも感じさせない卑わいなものへ、日一日と落ちて行くばかり/さらに非常な刺激を与えたのは、昨年末エロ・グロ・ストを看板に開場した浅草百万弗劇場である、伊藤晴雨氏所蔵の江戸時代刑罰の画(女が全身をあらわにして責められている)をウインドウ一ぱいにはりつけて宣伝、これまでせいぜい三百人そこそこしか入らなかつたのに、初日千五百人が押し寄せ、今日まで千数百の入りを下らない盛況……」[2]。
- 日劇ミュージックホールの1952年頃の3大スターは伊吹マリ、メリー松原、ヒロセ元美と言われた[3]
- (1954年頃)「浅草のストライキに参加してクビになり、関西落ちしたヒロセ元美(大スター級)が、軽演劇の鶴岡トオルと組んで地方巡業に出ていたがこのほど神戸で解散した[4]。
。」
代表作
引用文献
- ↑ 小沢昭一、 深井俊彦、中谷陽「消える灯・燃える炎ー戦後ストリップ史」新劇、1973年(昭和48年)9月号
- ↑ 長谷川卓也『猥色文化考―猥雑物公然陳列』(新門出版社, 1980.4.25)
- ↑ 南博・永井啓夫・小沢昭一『さらす ストリップの世界』(白水社, 1981)
- ↑ cobanobuのブログ「行詰ったストリップ」