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2010年6月2日 (水) 09:06時点における版
やまべぷろ、1965年(昭和40年)-
活動内容
山邊信夫がエロダクションとして1965年頃に設立。脚本のほとんどは団鬼六が書き、谷ナオミ、太古八郎、新高恵子、山本昌平などの俳優をかかえていた。
別名
略歴
エピソード
- 1965年(昭和40年)9月公開の『花と蛇』の撮影裏話が奇譚クラブ1965年(昭和40年)8月号『鬼六談義 映画「花と蛇」』に。
- 1967年(昭和42年)11月公開の『縄と肌』の撮影裏話が奇譚クラブ1967年(昭和42年)8月号の『鬼六談義 カメラ嫌い』に。
- 1968年(昭和43年)公開の『続・花と蛇 赤い拷問』の撮影裏話が奇譚クラブ1968年(昭和43年)10月号の『鬼六談義 どさ廻りの話』に。
代表作
- 『縄と乳房』[注 1]1967年(昭和42年)1月。企画:岸信太郎、寿御代子、製作:山邊信夫、脚本:団鬼六[注 2]、監督:岸信太郎[注 3]、出演[注 4]:枡田くに子、斎藤道子、山吹ゆかり、新高恵子、伊豆田弘、種村正、北孝二。
引用文献
注釈
- ↑ 同名の映画が1983年にっかつから小沼勝監督で製作されている。
- ↑ シナリオが奇譚クラブ1967年(昭和42年)2月号に掲載。日本映画データベースでは原作が「花と蛇」となっている。
- ↑ 日本映画データベースでは監督が経堂一郎と岸信太郎となっている。
- ↑ 日本映画データベースでは「新高恵子 桝田邦子 山吹ゆかり 伊海田弘 長岡丈二 北幸二 斎藤道代」となっている。