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'''はやかわ よしかつ'''、1949年(昭和24年)- | |||
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夢村寛、[http://www.nawapedia.com/index.php?title=Yoshikatsu_Hayakawa Yoshikatsu Hayakawa]、[[髭]] | |||
==略歴== | |||
1962年(昭和37年)頃、[[風俗奇譚]]を知り、SMに興味をもつ。 | |||
1968年(昭和43年)頃、交際中の女性を初めて縛る。 | |||
1972年(昭和47年)、大学を卒業<ref group="注">卒業研究はGeorges Batailleを中心としたエロス研究。</ref>して[[三崎書房]]に入社<ref group="注">入社時の社長は林。</ref>。[[えろちか]]の編集を担当。 | |||
1973年(昭和48年)4月、[[えろちか]]の休刊後、『幻想と怪奇』の創刊編集長(編集顧問は荒俣宏)。創刊号は[[三崎書房]]から出版されたが、創刊当日に[[三崎書房]]が倒産。その後は歳月社<ref group="注">[[三崎書房]]の印刷を担当していた。[[三崎書房]]の債権者でもあった。</ref>が引き継いでで発行。1974年(昭和49年)10月の12号まで続く。早川は11号で歳月社をやめた。 | |||
1974年(昭和49年)、[[平田明]]の誘いで[[司書房]]に入社。「[[別冊SMファン]]」デスク、さらに竹書房の「ギャンブル・パンチ」デスク、「近代麻雀オリジナル」創刊編集長などを歴任。 | |||
(1970年代後半、[[平田明]]は[[司書房]]を辞して経済関係の新聞社に転職。その後、[[大洋図書]]から空席になった[[ミリオン出版]]の社長に呼ばれる。所長の後に須藤を呼び寄せ、漫画雑誌を創っていたが、そのうちSMを始める。浅田と松本は残っていたが、[[司書房]]の編集部長だった石川精亨と意見が合わず、[[三和出版]]の名義をもらって外に出る。さらに[[三和出版]]が分裂し、松本が三和に残り、浅田が出て行き[[三和出版]])。 | |||
1980年(昭和55年)、[[ミリオン出版]]に入社。「[[S&Mスナイパー]]」編集長、「[[別冊スナイパー]]」創刊編集長となる。この頃から、「髭の編集長」と呼ばれる。 | |||
1983年(昭和58年)、「S&Mスナイパー」9月号より、「髭の交遊録」連載開始。 | |||
(真宮寺(小西洋)の縛りは荒木が気に入っていた。) | |||
1984年(昭和59年)、[[ミリオン出版]]編集局長となるが退職してフリー編集者となる。「フランス書院文庫」「トマト・ノベルス」の出版に関わる<ref group="注">スナイパー時代に知り合ったSM作家をこれらの文庫本に売り込む。</ref>。 | |||
1991年(平成3年)、「髭のサロン」を開催し、[[S&Mスナイパー]]にも「髭のサロン」の連載を開始。編集プロダクション(有)ソーマ設立。 | |||
1996年(平成8年)、パソコン通信のパティオ開設。 | |||
1999年(平成11年)、ウェブ・ページ「髭のサロン」開設。 | |||
2001年(平成13年)10月、六本木にSMラウンジ「mugen」を開店。 | |||
2006年、ソーマ解散。mugen閉店。 | |||
2006年(平成18年)10月3日、女王様スナック「なかむら」<ref group="note">[[中村あけみ]]が経営する女王様スナックで、新宿区舟町(四谷三丁目駅近く)に2009年まであった。</ref>を根拠として「髭のサロン」の活動を再開。 | |||
2009年(平成21年)12月25日、「なかむら」の閉店にともない、「髭のサロン」の活動を新し場所に移す。 | |||
==エピソード== | |||
*[[蘭光生]]との公私とものつきあいが長い。 | |||
*夫人は『奇想天外』の編集。 | |||
==代表作== | |||
==ノート== | |||
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==つながり== | |||
[[蘭光生]] | |||
[[鷹木竿主]] | |||
==お役たちweb== |
2010年2月13日 (土) 17:00時点における最新版
はやかわ よしかつ、1949年(昭和24年)-
活動内容
緊縛師。
別名
夢村寛、Yoshikatsu Hayakawa、髭
略歴
1962年(昭和37年)頃、風俗奇譚を知り、SMに興味をもつ。
1968年(昭和43年)頃、交際中の女性を初めて縛る。
1972年(昭和47年)、大学を卒業[注 1]して三崎書房に入社[注 2]。えろちかの編集を担当。
1973年(昭和48年)4月、えろちかの休刊後、『幻想と怪奇』の創刊編集長(編集顧問は荒俣宏)。創刊号は三崎書房から出版されたが、創刊当日に三崎書房が倒産。その後は歳月社[注 3]が引き継いでで発行。1974年(昭和49年)10月の12号まで続く。早川は11号で歳月社をやめた。
1974年(昭和49年)、平田明の誘いで司書房に入社。「別冊SMファン」デスク、さらに竹書房の「ギャンブル・パンチ」デスク、「近代麻雀オリジナル」創刊編集長などを歴任。
(1970年代後半、平田明は司書房を辞して経済関係の新聞社に転職。その後、大洋図書から空席になったミリオン出版の社長に呼ばれる。所長の後に須藤を呼び寄せ、漫画雑誌を創っていたが、そのうちSMを始める。浅田と松本は残っていたが、司書房の編集部長だった石川精亨と意見が合わず、三和出版の名義をもらって外に出る。さらに三和出版が分裂し、松本が三和に残り、浅田が出て行き三和出版)。
1980年(昭和55年)、ミリオン出版に入社。「S&Mスナイパー」編集長、「別冊スナイパー」創刊編集長となる。この頃から、「髭の編集長」と呼ばれる。
1983年(昭和58年)、「S&Mスナイパー」9月号より、「髭の交遊録」連載開始。
(真宮寺(小西洋)の縛りは荒木が気に入っていた。)
1984年(昭和59年)、ミリオン出版編集局長となるが退職してフリー編集者となる。「フランス書院文庫」「トマト・ノベルス」の出版に関わる[注 4]。
1991年(平成3年)、「髭のサロン」を開催し、S&Mスナイパーにも「髭のサロン」の連載を開始。編集プロダクション(有)ソーマ設立。
1996年(平成8年)、パソコン通信のパティオ開設。
1999年(平成11年)、ウェブ・ページ「髭のサロン」開設。
2001年(平成13年)10月、六本木にSMラウンジ「mugen」を開店。
2006年、ソーマ解散。mugen閉店。
2006年(平成18年)10月3日、女王様スナック「なかむら」[note 1]を根拠として「髭のサロン」の活動を再開。
2009年(平成21年)12月25日、「なかむら」の閉店にともない、「髭のサロン」の活動を新し場所に移す。
エピソード
- 蘭光生との公私とものつきあいが長い。
- 夫人は『奇想天外』の編集。
代表作
ノート
つながり
お役たちweb
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