「梅原北明」の版間の差分
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2013年9月9日 (月) 20:48時点における版
うめはら ほくめい、1899年(明治32年)-1946年(昭和21年)4月5日
概要
戦前のエログロ文化の推進者。
別名
english、梅原貞康、烏山朝太郎、吾妻大陸
略歴
1946年(昭和21年)4月5日、発疹チブスで永眠。
エピソード
- 1938年(昭和13年)2月号~11月号にかけて『新青年』へ連載された「特急「亜細亜」」は吉川英治の作品となっているが、実作者は梅原北明らしく、『えろちか』昭和48年新年特大号「梅原北明特集号」所収の「年譜」には梅原北明の作品として紹介されている[1]。
- 陸軍将官の名刺を偽造行使した事が発覚して憲兵に追われた為、昭和13年から昭和15年にかけて家族を残したまま地下に潜る。その頃、吾妻大陸の別名を使用しており、この名前が雑誌に載っている限り、自分は安全だと家族に筆名を利用して通信を送っていた[2]。
代表作
書籍
梅原北明研究本
- 久我庄一『人間、梅原北明伝 執筆後日談』奇譚クラブ1965年(昭和40年)9月号, p192
- 『特集:評伝―伊藤晴雨/高橋鐵/梅原北明/稲垣足穂』黒の手帖1971年(昭和46年)11月号, (檸檬社)
引用文献
注釈