「伊藤竹酔」の版間の差分
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*[[伊藤晴雨]]との出会いは「神田明神の近くに田村秋子の父が小料理屋をやっており、そこでの会で初めて会う。」<ref name="Uramado1961_4">『'''晴雨画伯を偲んで'''』[[裏窓]]1961年(昭和36年)4月号, p176-183.</ref>。 | *[[伊藤晴雨]]との出会いは「神田明神の近くに田村秋子の父が小料理屋をやっており、そこでの会で初めて会う。」<ref name="Uramado1961_4">『'''晴雨画伯を偲んで'''』[[裏窓]]1961年(昭和36年)4月号, p176-183.</ref>。 | ||
*1952年(昭和27年)9月20日付で[[須磨利之|喜多玲子]]に宛てた手紙には「酔古堂伊藤竹酔とは少々訳があって絶縁いたしました」とある<ref name="bijin"></ref>。 | |||
*1961年(昭和36年)、[[須磨利之]]と[[濡木痴夢男]]が東京王子飛鳥山下の[[伊藤竹酔]]宅を訪れ、緊縛写真ネガ約1200枚を購入。このいくつかは、[[金井行雄]]の名で[[裏窓]]に発表<ref name="akita">[[秋田昌美]]、[[濡木痴夢男]]、[[不二秋夫]][http://www.amazon.co.jp/gp/product/4426738008?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4426738008 『日本緊縛写真史 1』] ([[自由国民社]], 1996)</ref>。 | *1961年(昭和36年)、[[須磨利之]]と[[濡木痴夢男]]が東京王子飛鳥山下の[[伊藤竹酔]]宅を訪れ、緊縛写真ネガ約1200枚を購入。このいくつかは、[[金井行雄]]の名で[[裏窓]]に発表<ref name="akita">[[秋田昌美]]、[[濡木痴夢男]]、[[不二秋夫]][http://www.amazon.co.jp/gp/product/4426738008?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4426738008 『日本緊縛写真史 1』] ([[自由国民社]], 1996)</ref>。 | ||
*「この二人([[伊藤晴雨]]と[[伊藤竹酔]])ほどに対称的な正確は珍しく、・・・痩せ型小男でだんまりむっつり屋で、陰気な性格の竹酔・・・事実、二人は仲が悪かった」<ref name="saitou"></ref>。 | *「この二人([[伊藤晴雨]]と[[伊藤竹酔]])ほどに対称的な正確は珍しく、・・・痩せ型小男でだんまりむっつり屋で、陰気な性格の竹酔・・・事実、二人は仲が悪かった」<ref name="saitou"></ref>。 | ||
==代表作== | ==代表作== | ||
*[[伊藤竹酔]]編『'''新撰十八大通'''』(敬文館, 1909) | *[[伊藤竹酔]]編『'''新撰十八大通'''』(敬文館, 1909) |
2012年12月8日 (土) 13:26時点における版
いとう ちくすい 、1884年(明治17年) - 1965年(昭和40年)
概要
伊藤晴雨の著作、画集、写真集などを発刊。粹古堂や竹醉書房を経営。
別名
略歴
1884年(明治17年)、神奈川県宮の河岸に生まれる[1]。
神田加治屋町の朝香屋書店の店員となる[1]。
書肆敬文館を設立し薬学書などを出版。やがて朝香屋書店に戻る[1]。
1913年(大正2年)、泉鏡花『遊行車』を出版。
1923年(大正12年)、関東大震災で朝香屋書店は消失・倒産。国際文献刊行会を本郷丸山福山町に設立。粹古堂の名で古本屋も始める。[1]。
1931年(昭和6年)夏、伊藤晴雨と出会う。
戦後は王子飛鳥山下で出版業を続ける[1]。
1961年(昭和36年)、須磨利之と濡木痴夢男が東京王子飛鳥山下の伊藤竹酔宅を訪れ、緊縛写真ネガ約1200枚を購入。このいくつかは、金井行雄の名で裏窓に発表[2]。
1965年(昭和40年)、永眠[1]。
エピソード
- 伊藤晴雨との出会いは「神田明神の近くに田村秋子の父が小料理屋をやっており、そこでの会で初めて会う。」[3]。
- 1952年(昭和27年)9月20日付で喜多玲子に宛てた手紙には「酔古堂伊藤竹酔とは少々訳があって絶縁いたしました」とある[4]。
- 1961年(昭和36年)、須磨利之と濡木痴夢男が東京王子飛鳥山下の伊藤竹酔宅を訪れ、緊縛写真ネガ約1200枚を購入。このいくつかは、金井行雄の名で裏窓に発表[2]。
- 「この二人(伊藤晴雨と伊藤竹酔)ほどに対称的な正確は珍しく、・・・痩せ型小男でだんまりむっつり屋で、陰気な性格の竹酔・・・事実、二人は仲が悪かった」[1]。
代表作
- 伊藤竹酔編『新撰十八大通』(敬文館, 1909)
- 『変態十二史』(文芸資料研究会, 1928)
- 伊藤竹酔『明治大正昭和文芸筆禍索引』(粹古堂, 1935)
- 伊藤竹酔『明治以降稀覯本索引』(粹古堂書店, 1940)
- 伊藤敬次郎編『小説に現れた責の代表名作選』(粹古堂, 1953)
- 伊藤竹酔『文学書及限定本相場帖』(書痴往来社, 1955)
- 伊藤竹酔『竹酔自叙伝』(日本愛書会, 1961)
- 伊藤竹酔『花街文献資料目録 』(私家版, 1963)