「伊藤竹酔」の版間の差分

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==略歴==
==略歴==
1884年(明治17年)、神奈川県宮の河岸に生まれる<ref name="saitou">[[斎藤夜居]]『'''[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4787231286/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4787231286&linkCode=as2&tag=iq05-22 伝奇・伊藤晴雨]'''』(青弓社, 1996)</ref>。
1884年(明治17年)、神奈川県宮の河岸に生まれる<ref name="saitou">[[斎藤夜居]]『'''[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4787231286/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4787231286&linkCode=as2&tag=iq05-22 伝奇・伊藤晴雨]'''』(青弓社, 1996)</ref>。
神田加治屋町の朝香屋書店の店員となる<ref name="saitou"></ref>。
'''書肆敬文館'''を設立し薬学書などを出版。やがて朝香屋書店に戻る<ref name="saitou"></ref>。
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1923年(大正12年)、関東大震災で朝香屋書店は消失・倒産。'''国際文献刊行会'''を本郷丸山福山町に設立。'''[[粹古堂書店|粹古堂]]'''の名で古本屋も始める。<ref name="saitou"></ref>。


1931年(昭和6年)夏、[[伊藤晴雨]]と出会う。
1931年(昭和6年)夏、[[伊藤晴雨]]と出会う。
戦後は王子飛鳥山下で出版業を続ける<ref name="saitou"></ref>。
1965年(昭和40年)、永眠<ref name="saitou"></ref>。
==エピソード==
==エピソード==
*[[伊藤晴雨]]との出会いは「神田明神の近くに田村秋子の父が小料理屋をやっており、そこでの会で初めて会う。」<ref name="Uramado1961_4">『'''晴雨画伯を偲んで'''』[[裏窓]]1961年(昭和36年)4月号, p176-183.</ref>。
*[[伊藤晴雨]]との出会いは「神田明神の近くに田村秋子の父が小料理屋をやっており、そこでの会で初めて会う。」<ref name="Uramado1961_4">『'''晴雨画伯を偲んで'''』[[裏窓]]1961年(昭和36年)4月号, p176-183.</ref>。

2012年11月27日 (火) 08:14時点における版

いとう ちくすい 

概要

伊藤晴雨の著作、画集、写真集などを発刊。粹古堂竹醉書房を経営。

別名

伊藤敬次郎粹古堂主人

略歴

1884年(明治17年)、神奈川県宮の河岸に生まれる[1]

神田加治屋町の朝香屋書店の店員となる[1]

書肆敬文館を設立し薬学書などを出版。やがて朝香屋書店に戻る[1]

1913年(大正2年)、泉鏡花『遊行車』を出版。

1923年(大正12年)、関東大震災で朝香屋書店は消失・倒産。国際文献刊行会を本郷丸山福山町に設立。粹古堂の名で古本屋も始める。[1]

1931年(昭和6年)夏、伊藤晴雨と出会う。

戦後は王子飛鳥山下で出版業を続ける[1]

1965年(昭和40年)、永眠[1]

エピソード

代表作

引用資料

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 斎藤夜居伝奇・伊藤晴雨』(青弓社, 1996)
  2. 晴雨画伯を偲んで裏窓1961年(昭和36年)4月号, p176-183.
  3. 秋田昌美濡木痴夢男不二秋夫『日本緊縛写真史 1』 (自由国民社, 1996)

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