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1965年(昭和40年)12月号(''要確認'')、復刊第1号。通巻63号。 | 1965年(昭和40年)12月号(''要確認'')、復刊第1号。通巻63号。 | ||
1966年(昭和41年)6月号、[[新高恵子]]、[[林美樹]]、[[桂奈美]]、扇町京子のグラビア。[[美研出版]]や三星社書房の「医学カード<性のデザイン篇>」の広告。 | 1966年(昭和41年)6月号、[[新高恵子]]、[[林美樹]]、[[桂奈美]]、扇町京子のグラビア。[[美研出版]]や三星社書房の「医学カード<性のデザイン篇>」の広告。[[パン・フォト・プレス]] | ||
1967年(昭和42年)4月号、映画デビュー前後の[[谷ナオミ]]がグラビアに出ている。[[谷ナオミ|村山明美]]の名前で。撮影:石塚和保。 | 1967年(昭和42年)4月号、映画デビュー前後の[[谷ナオミ]]がグラビアに出ている。[[谷ナオミ|村山明美]]の名前で。撮影:石塚和保。[[パン・フォト・プレス]] | ||
1967年(昭和42年)10月号、[[谷ナオミ]]の名でグラビアに登場。4月号の[[谷ナオミ|村山明美]]は今人気のピンク映画女優[[谷ナオミ]]と同一人物だと解説。 | 1967年(昭和42年)10月号、[[谷ナオミ]]の名でグラビアに登場。4月号の[[谷ナオミ|村山明美]]は今人気のピンク映画女優[[谷ナオミ]]と同一人物だと解説。[[光彩書房]] | ||
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2011年7月29日 (金) 15:24時点における版
ゆーもあぐらふ
概要
一水社の出していた『笑の泉』の別冊として1959年(昭和34年)の終わりに『新グラマー画報』として創刊。1964年(昭和39年)には一時休刊したが、まもなく復刊。その後発行元が1965年(昭和40年)にはパン・フォト・プレス続いて、光彩書房へと変わる。復刊後はピンク映画の女優がモデルとして頻繁に登場している。
発行年・出版社
パン・フォト・プレス:(1966年(昭和41年)6月号, No.69 1967年(昭和42年)4月号)
光彩書房:(1967年(昭和42年)10 月号)
発行人・編集人
編集人:田部昶(1964年(昭和39年)4月号)
編集人:しもかわのりなお、発行人:たなべひさし(1966年(昭和41年)6月号)
発行人:たなべひさし(1967年(昭和42年)4月号、10月号)
主な出来事
1958年(昭和33年)12月号(要確認)、『別冊笑の泉 新グラマー画報』として一水社から創刊[注 1]。
1959年(昭和34年)10月号、『別冊笑の泉 まんがショック ぐらまあショック』という表紙。
1959年(昭和34年)11月号、『別冊笑の泉 NUDE PHOTO』という表紙。
1960年(昭和35年)1月号、『別冊笑の泉 漫画ショック』という表紙。
1960年(昭和35年)2月号、『別冊笑の泉 ユーモアグラフ』として名称が固定。
1961年(昭和36年)8月号、『笑の泉発行』『ユーモアグラフ」の表記となる。
1964年(昭和38年)頃?、休刊。
1965年(昭和40年)12月号(要確認)、復刊第1号。通巻63号。
1966年(昭和41年)6月号、新高恵子、林美樹、桂奈美、扇町京子のグラビア。美研出版や三星社書房の「医学カード<性のデザイン篇>」の広告。パン・フォト・プレス
1967年(昭和42年)4月号、映画デビュー前後の谷ナオミがグラビアに出ている。村山明美の名前で。撮影:石塚和保。パン・フォト・プレス
1967年(昭和42年)10月号、谷ナオミの名でグラビアに登場。4月号の村山明美は今人気のピンク映画女優谷ナオミと同一人物だと解説。光彩書房
エピソード
- 一水社時代は記事が中心の雑誌。グラビアも豊富で凝った撮影が多い。
- 名前の出てくる写真家は、吉田潤、石川洋司、大久保滋、藤沢修、望月良平。
- 一水社時代のモデルには「あすなろぐるーぷ」という所属が記されている。
- 1961年(昭和36年)頃、季節風書店から『世界ユーモア画報』が出版されている。
- 1966年(昭和41年)6月号の裏表紙には「The New Humor Graph」とある。
引用文献
注釈
- ↑ 初期の名前は安定していなかったようだ。