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2011年4月17日 (日) 17:24時点における版
もりした たかしげ、1927年(昭和2年)[1]
概要
風俗史研究家。文筆家。
別名
谷貫太、森本愛造、原忠正、森下小太郎(本名)、天泥盛栄、天泥盛英(あまでもりえ)、フェニクス商会、T. C. Moriscita, マックス・フォン・ティーツェム
略歴
1953年(昭和28年)、奇譚クラブ4月号に森本愛造『乗馬靴と長靴と鞭』p30。
1954年(昭和29年)、奇譚クラブ4月号のグラビアに『鞭打つ女と馬になる男』と題して、BizarreのJohn Willieの作品と思われるイラストと写真が「天泥盛英氏提供」で掲載。同誌のグラビアに『残虐なる女性達』と題してDas Grausame Weib誌、Das Leben誌の挿絵、Vala Moro, Tackの作品を森本愛造の名前で紹介。
1960年(昭和35年)、別冊風俗奇譚上に「ニュートリクス(Nutrix)・コーナー」「ニュートリクス画廊」の記事が頻繁に現れる。
1960年(昭和35年)、8月28日「週刊現代」に「あけぼの会事件」をたたかれる[2]。
1961年(昭和36年)、日本ヌートリクス株式会社(旧泰西出版株式会社ヌートリクス社販売部)設立。
1964年(昭和39年)、あまとりあ社から『ショッキング画集1』を出版。John Willieなどのイラスト集。解説文を濡木痴夢男と共に書いている。
エピソード
- 『奇譚クラブ』『裏窓』『風俗奇譚』などで海外のフェチシズムを紹介。
- 森下からFakir Musafarを通じて、日本の緊縛写真が米国に流れていた。
- 濡木痴夢男にFakir Musafarを紹介した。
- 1981年(昭和56年)の「諸君」(文藝春秋社)で「家畜人ヤプー」の作者沼正三が東京高裁判事倉田卓次氏だということを暴露。現在ではこれは誤認識とされている。
- 昭和30年代に横浜本牧にSMグッズ店をもっていた[3]。
- 風俗奇譚1961年頃に広告を出していた『泰西出版資料会社』は森下高茂の会社と推測される。本社は横浜市中区北方町1-67。東京出張所は渋谷区上通り3-28(スカラ座筋向かい)の喫茶「ら・ぷらた」となっている。ヌートリクス社の日本総代理店とある。
- 画報風俗奇譚1961年(昭和36年)10月号, p90には「日本ヌートリクス株式会社(旧泰西出版株式会社ヌートリクス社販売部)提供」とある。
- 小田急線相模大野駅付近に金髪の夫人と住んでいた[3]。
代表作
主なもの
- 森本愛造『乗馬靴と長靴と鞭』奇譚クラブ1953年(昭和28年)4月号, p30
- 谷貫太『残虐なる女性たち』奇譚クラブ1953年(昭和28年)~1958年(昭和33年)年連載。
- 天泥盛栄『或る被虐性愛者の手記より』奇譚クラブ1953年(昭和28年)8月号, p138
- 天泥盛栄『或る被虐性愛者の手記より(二)』奇譚クラブ1953年(昭和28年)10月号p79
- 森本愛造訳『残虐なる女性達』奇譚クラブ1953年(昭和28年)12月号, http://nawa-art.com/backnumber/1950/195312/02/099.html p104]
- 原忠正『現代マゾヒズム芸術時評』奇譚クラブ1954年(昭和29年)~1955年(昭和35年)年連載。
- 天泥盛栄『マゾヒスム断想』奇譚クラブ1956年(昭和31年)7月号, p124
- 『マゾヒズムへの招待』裏窓1960年(昭和35年)連載。
- 谷貫太『マゾヒストの手紙から』風俗奇譚1960年(昭和35年)~1961年(昭和36)年連載。
- 原忠正『『あけぼの会事件』について』奇譚クラブ1961年(昭和36年)2月号、p212-p213。
- 谷貫太『ジョン・ウィリー原作ならびに絵 グエンドリンの降伏と冒険』画報風俗奇譚1961年(昭和36年)5月号増刊号(第12集)、p107
- 『マゾヒズム文化時評』裏窓1962年(昭和37年)~1964年(昭和39年)連載。
- 谷貫太『続・マゾヒストの手紙から』風俗奇譚1962年(昭和37年)~1964年(昭和39)年連載。
- 谷貫太『わたしの友人たち』風俗奇譚1964年(昭和39年)~1966年(昭和41)年連載。
- 『もう一つの世界を散歩する』風俗奇譚1965年(昭和40年)~1967年(昭和42年)に連載。
- 谷貫太『新・マゾヒストの手紙から』風俗奇譚1966年(昭和41年)~1968年(昭和43)年連載。
- 谷貫太『レターM』風俗奇譚1968年(昭和43)~1974年(昭和49)年連載(谷貫太)。
- 『フェティシズム』SMキング創刊号(1972)から連載。
- 谷貫太スペシャリーS&M1982年(昭和57年)5月15日、通算23号から同雑誌にいくつか書いている。