「梅原北明」の版間の差分

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==[[梅原北明]]研究本==
==[[梅原北明]]研究本==
*久我庄一『人間、梅原北明伝 執筆後日談』[[奇譚クラブ]]1965年(昭和40年)9月号, p192
*久我庄一『人間、梅原北明伝 執筆後日談』[[奇譚クラブ]]1965年(昭和40年)9月号, p192
*『'''特集:評伝―[[伊藤晴雨]]/[[高橋鐵]]/[[梅原北明]]/稲垣足穂'''』[[黒の手帖]]1971年(昭和46年)11月号, ([[檸檬社]])


== 引用文献==
== 引用文献==

2013年9月9日 (月) 20:48時点における版

うめはら ほくめい、1899年(明治32年)-1946年(昭和21年)4月5日

概要

戦前のエログロ文化の推進者。

別名

english、梅原貞康、烏山朝太郎、吾妻大陸

略歴

1946年(昭和21年)4月5日、発疹チブスで永眠。

エピソード

  • 1938年(昭和13年)2月号~11月号にかけて『新青年』へ連載された「特急「亜細亜」」は吉川英治の作品となっているが、実作者は梅原北明らしく、『えろちか』昭和48年新年特大号「梅原北明特集号」所収の「年譜」には梅原北明の作品として紹介されている[1]
  • 陸軍将官の名刺を偽造行使した事が発覚して憲兵に追われた為、昭和13年から昭和15年にかけて家族を残したまま地下に潜る。その頃、吾妻大陸の別名を使用しており、この名前が雑誌に載っている限り、自分は安全だと家族に筆名を利用して通信を送っていた[2]

代表作

書籍

梅原北明研究本

引用文献

  1. 情報提供:黒田氏←末永昭二氏
  2. 情報提供:黒田氏

注釈


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