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東宝からスピンアウトして1950年代に名作を残した『'''株式会社新東宝'''』としての『'''[[新東宝]]'''』と、1960年代後半以降に[[ピンク映画]]の製作会社として台頭した『'''新東宝映画株式会社'''』としての『'''[[新東宝]]'''』の2つの会社を指す略称。歴史を辿ると、両者には関連があるが、一般的には2つの『'''[[新東宝]]'''』を区別して扱う。 | |||
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2012年2月10日 (金) 09:52時点における版
しんとうほう、
概要
東宝からスピンアウトして1950年代に名作を残した『株式会社新東宝』としての『新東宝』と、1960年代後半以降にピンク映画の製作会社として台頭した『新東宝映画株式会社』としての『新東宝』の2つの会社を指す略称。歴史を辿ると、両者には関連があるが、一般的には2つの『新東宝』を区別して扱う。
別名
歴史
1947年(昭和22年)3月、東宝株式会社の組合を脱退した俳優、監督が中心に「新東宝映画製作所」を設立。場所は世田谷区砧の東宝第二撮影所。大河内傳次郎、長谷川一夫、入江たか子、山田五十鈴、藤田進、黒川弥太郎、原節子、高峰秀子、山根寿子、花井蘭子、嵐寛寿郎、丹波哲郎などを抱える。渡辺邦男や黒澤明ら監督も新東宝に移籍。
1948年(昭和23年)4月、『株式会社新東宝』として設立、
1948年(昭和23年)4月、花沢正治が秦大三[注 1]の誘いで社員スチールカメラマンとして入社。
1955年(昭和30年)、大蔵貢が事実上の買収で社長。「安く、早く、面白く」で改革を試み、多くの新人を生み出したが、やがてそのワンマン体制から離脱者を生み出しす。
1957年(昭和32年)、『明治天皇と日露大戦争』(監督:渡辺邦男、出演;嵐寛寿郎)が大ヒット。
1958年(昭和33年)、『新東宝株式会社』に商号変更。
1960年(昭和35年)、大蔵貢は追放され、1962年(昭和37年)1月に大蔵映画を設立。
1961年(昭和36年)、倒産。この後、有志が作った「新東宝興行株式会社」(後に、「新東宝映画株式会社」)がピンク映画の『新東宝』。
1964年(昭和39年)、国際放映株式会社に商号変更。
1992年(平成4年)、TBS、フジテレビ、関西テレビ放送との共同施設東京メディアシティとなる。
2007年(平成19年)、フジテレビが撤退。
2011年(平成23年)2月17日、東宝の完全子会社となり、阪急阪神東宝グループの1社。