「岩田専太郎」の版間の差分
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*[[岩田専太郎]]『'''さし絵三十年'''』読売新聞 1955年(昭和30年)3月4日 | |||
*[[岩田専太郎]]『'''さし絵は無用か'''』読売新聞 1955年(昭和30年)9月13日 | |||
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2011年6月12日 (日) 10:10時点における版
いわた せんたろう、1901年(明治34年)-1974年(昭和49年)
概要
戦前戦後を代表する挿絵画家。吉川英治、大佛次郎、江戸川乱歩などの挿絵を手がけた。時代考証、文筆家としても知られる。伊藤晴雨とも交友関係があった模様。
別名
略歴
1920年(大正9年)、講談雑誌3月号の竜斎貞山「音羽屋火事」、斎藤金鴬「床下の小函」の挿絵を担当。
1924年(大正13年)、プラトン社から創刊された『苦楽』で挿絵担当。
エピソード
- 村田誠一『戦前戦後の挿絵に現れた責め縛り繪』奇譚クラブ 1953年(昭和28年)8月号, 口絵で紹介されている。
- 高月大三『戦後の挿繪に現れた女の責め場』奇譚クラブ 1953年(昭和28年)5月号, 口絵で紹介されている。
- 伊藤晴雨と交友があった。
- 富永謙太郎・志村立美らとともに「御三家」と呼ばれた。
- 春日章が弟子にあたる。
代表作
- 舟橋聖一『切られお富』in りべらる1947年(昭和22年)2月号の挿絵。
- 岩田専太郎『さし絵三十年』読売新聞 1955年(昭和30年)3月4日
- 岩田専太郎『さし絵は無用か』読売新聞 1955年(昭和30年)9月13日
引用文献
注釈