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画像:Chevalet01.jpg|ポーランドの[https://mzl.zgora.pl/ ルブスキ地方博物館]に展示されている[[Spanish donkey]]<ref>https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Osiol_hiszpanski_wisnia6522.JPG</ref>。
画像:Chevalet01.jpg|ポーランドの[https://mzl.zgora.pl/ ルブスキ地方博物館]に展示されている[[Spanish donkey]]<ref>https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Osiol_hiszpanski_wisnia6522.JPG</ref>。
画像:Seme48_Moluba.png|[[伊藤晴雨]]『'''[[木馬責]]'''』in 『'''[[責の四十八手]]'''』([[粹古堂書店|粹古堂]], 1951.1)
画像:Seme48_Moluba.png|[[伊藤晴雨]]『'''[[木馬責]]'''』in 『'''[[責の四十八手]]'''』([[粹古堂書店|粹古堂]], 1951.1)
画像:Surugadoi08.png|[[藤沢衛彦]]・[[伊藤晴雨]]『'''[[日本刑罰風俗図史]] 下'''』([[粹古堂]], 1951.5)より「責・拷問の歴史」の章の挿絵
画像:SeishiroUeda.jpg|[[上田青柿郎]]『'''[[木馬責め]]滑車責め'''』[[風俗草紙]]1953年(昭和28年)8月号
画像:SeishiroUeda.jpg|[[上田青柿郎]]『'''[[木馬責め]]滑車責め'''』[[風俗草紙]]1953年(昭和28年)8月号
画像:Nakagawa04.png|[[土居啓子]]『'''鞍馬地獄'''』[[画報風俗奇譚]] 1960年(昭和35年)5月号
画像:Nakagawa04.png|[[土居啓子]]『'''鞍馬地獄'''』[[画報風俗奇譚]] 1960年(昭和35年)5月号
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画像:kaksuga4.jpg|[[堂昌一]]『'''[[木馬]]と繩'''』 「SM文学別館1 耽美の発見」([[耽美館]] , 1969)より
画像:kaksuga4.jpg|[[堂昌一]]『'''[[木馬]]と繩'''』 「SM文学別館1 耽美の発見」([[耽美館]] , 1969)より
画像:KojiNagata01.png|[[軽井仁兵]]『'''黒い斜塔'''』(挿絵:[[長田浩次]]) [[Pocket SM]] 1970年(昭和45年)10月号。
画像:KojiNagata01.png|[[軽井仁兵]]『'''黒い斜塔'''』(挿絵:[[長田浩次]]) [[Pocket SM]] 1970年(昭和45年)10月号。
画像:Akiyoshi06.jpg|[[織裳雪夫]]『'''淫虫の塔'''』 [[SMセレクト]] 1972年(昭和47年)8月号。挿絵:[[秋吉巒]]
画像:akihiroyamada05.png|[[窓道夫]]『'''諜られた見合'''』 [[SMセレクト]] 1972年(昭和47年)10月号。挿絵:[[山田彬弘]]
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画像:YashaKeiji1.jpg|[[夜叉螢児]] [[SMキング]] 1973年(昭和48年)6月号より
画像:YashaKeiji1.jpg|[[夜叉螢児]] [[SMキング]] 1973年(昭和48年)6月号より
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画像:HarumiNishimura01.png|[[六本木薫]]『'''弄虐の地下洞'''』』[[SM奇談POCKET]]1981年(昭和56年)3月号(挿絵:[[西村春海]])
画像:HarumiNishimura01.png|[[六本木薫]]『'''弄虐の地下洞'''』』[[SM奇談POCKET]]1981年(昭和56年)3月号(挿絵:[[西村春海]])
画像:SanshiYamamoto01.png|[[山本三四]]『'''[[木馬責め]]'''』[[風俗奇譚]] 1981年(昭和56年)7月号より。
画像:SanshiYamamoto01.png|[[山本三四]]『'''[[木馬責め]]'''』[[風俗奇譚]] 1981年(昭和56年)7月号より。
画像:Ozuma21.png|[[砂戸増造]]・文、[[小妻要]]・画『'''地獄の門'''』[[別冊SMファン]]1982年(昭和57年)9月
画像:KahoruKato06.png|[[加藤かほる]]『'''メルヘン画廊'''』[[SMマニア]]1985年(昭和60年)12月号
画像:yume1.jpg|[[SM遊戯術]]1985年(昭和60年)12月に紹介されている[[夢の城]]の『'''真珠の間'''』にあった[[三角木馬]]。
画像:yume1.jpg|[[SM遊戯術]]1985年(昭和60年)12月に紹介されている[[夢の城]]の『'''真珠の間'''』にあった[[三角木馬]]。
画像:Taro_Yamamoto03.png|[[高主勇次]]『''' 蓮華のさだめ'''』挿絵:[[山本太郎]] [[SM秘小説]] 2000年(平成12年)11月号より。
画像:Taro_Yamamoto03.png|[[高主勇次]]『''' 蓮華のさだめ'''』挿絵:[[山本太郎]] [[SM秘小説]] 2000年(平成12年)11月号より。

2024年9月5日 (木) 10:08時点における最新版

頂点を上にして横に置いた三角柱を跨がせることで股間を責める拷問具。ヨーロッパでは遅くとも17世紀ごろから使われていたようで、Spanish donkeyとして知られる。日本でも『落穂集』(1727)に年貢を払わない百姓を「木馬ニ乗せ責」めたとの記述がある。戦後、伊藤晴雨らが責めの1つとして絵画などで紹介し、その後SMのモチーフの1つとして、小説、絵画、写真、映画などに広く登場する。

概要

大道寺友山『落穂集』(1727)巻三『秋至り収納之事』の中に「惣て七十年余も以前之義は諸国共ニ秋先ニ至り候ても其村々名主たる者之家ニハ水牢木馬抔と申すものを支配いたし、百姓共の中ニて私欲をかまへ収納致兼候ものハ件の水牢ニ被入木馬ニ乗せ責て収納為致候所ニ近年ハ在辺之百姓共も正路ニ罷成律儀ニ収納致にや、彼水牢木馬等之沙汰を承候ハず[1]」とある[2]

西欧でも17世紀ごろから拷問具として同様の装置が利用されていたようで、Spanish donkeyとも呼ばれ、19世紀の米国南北戦争でも使われていた[3]

別名

木馬 木馬責 木馬責め 三角木馬 Spanish donkey Chevalet Cavalletto Wooden horse

小説・記事等

見るともなしに頁を開くと、グラビアの口絵で、女が三角型の木馬に跨って責められている絵が目に入った。跨った足の先には、両側とも錘りがつけられ、苦しさに身もだえしている光景であった。

分譲写真

映画

  • 徳川女刑罰史
  • 団鬼六 少女木馬責め 監督:加藤文彦、脚本:石井隆 にっかつ 1982

ギャラリー

引用文献

  1. 「一般的に七十年以上前には諸国共に秋口になると村々の名主たる者の家には水牢木馬などというものを設置し、百姓の中に私欲をはり納税しない者はその水牢に入れ、木馬に乗せ責めて納税させたものですが近年は何処でも百姓も正直になり、律儀に納税するためか彼の水牢木馬等のことは聞いて居りません」
  2. 古文書を楽しむ
  3. Wikipediaより
  4. https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Osiol_hiszpanski_wisnia6522.JPG

注釈

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つながり