「古正英生」の版間の差分
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*「何でも気軽に引き受け、奇妙でおもしろい味を出す[[古正英生]]」と[[濡木痴夢男]]は評する<ref name="kitanuramado">[[飯田豊一]]『[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4846012883/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4846012883&linkCode=as2&tag=iq05-22 '''『奇譚クラブ』から『裏窓』へ''']』([[論創社]], 2013)</ref>。 | *「何でも気軽に引き受け、奇妙でおもしろい味を出す[[古正英生]]」と[[濡木痴夢男]]は評する<ref name="kitanuramado">[[飯田豊一]]『[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4846012883/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4846012883&linkCode=as2&tag=iq05-22 '''『奇譚クラブ』から『裏窓』へ''']』([[論創社]], 2013)</ref>。 | ||
*「この人はやたらに描きまくっていた。本人も一流じゃなかったから、所謂二、三流雑誌にものすごく描いた。また仕事が早いので、依頼した翌日に持ってくる。家もどこか知らなかったけれど、とても人柄いいおじさんに見えた。ところが須磨にいわせると、古正さんがきたら一緒に歩かないほうがいいぞ、お尻をやたらなでられるからとされる人物だったようです」と[[濡木痴夢男]]は評する<ref name="kitanuramado"> | *「この人はやたらに描きまくっていた。本人も一流じゃなかったから、所謂二、三流雑誌にものすごく描いた。また仕事が早いので、依頼した翌日に持ってくる。家もどこか知らなかったけれど、とても人柄いいおじさんに見えた。ところが須磨にいわせると、古正さんがきたら一緒に歩かないほうがいいぞ、お尻をやたらなでられるからとされる人物だったようです」と[[濡木痴夢男]]は評する<ref name="kitanuramado"></ref>。 | ||
==作品== | ==作品== | ||
*岩堀光『'''秘色 大阪城絵巻'''』[[風俗草紙]]1953年(昭和28年)8月号, [http://nawa-art.com/etc/fs/FS195308/02/161.html p164]の挿絵。 | *岩堀光『'''秘色 大阪城絵巻'''』[[風俗草紙]]1953年(昭和28年)8月号, [http://nawa-art.com/etc/fs/FS195308/02/161.html p164]の挿絵。 | ||
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*画集『[[縄と女]]』編集・譚奇会 1970年12月10日発行 三崎書房 | *画集『[[縄と女]]』編集・譚奇会 1970年12月10日発行 三崎書房 | ||
*[[かびやかずひこ]]『'''両性陰花'''』[[S&Mコレクター]]1974年(昭和49年)5月号。挿絵:[[古正英生]]。 | *[[かびやかずひこ]]『'''両性陰花'''』[[S&Mコレクター]]1974年(昭和49年)5月号。挿絵:[[古正英生]]。 | ||
*[[祝天魔]]『'''塗れた毒牙'''』[[SMキング]]1973年(昭和48年)3月号。挿絵::[[古正英正]]。 | |||
*[[紫四郎]]『'''赤い雪'''』[[SMキング]]1975年(昭和50年)1月号。挿絵::[[古正英文]]。 | *[[紫四郎]]『'''赤い雪'''』[[SMキング]]1975年(昭和50年)1月号。挿絵::[[古正英文]]。 | ||
===書籍=== | ===書籍=== | ||
*狩久『'''妖しい花粉'''』([[あまとりあ社]], 1959?)(装幀:[[古正英生]]) | *狩久『'''妖しい花粉'''』([[あまとりあ社]], 1959?)(装幀:[[古正英生]]) | ||
===作品=== | |||
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image:furusyo06.png|[[若尾鋭介]]・文、[[古正英生]]・画『'''邪恋の京人形師'''』[[裏窓]] 1957年(昭和32年)4月号より。 | |||
image:furusyo2.jpg||[[裏窓]] 1957年(昭和32年)11月号、挟山温『'''奥山振袖心中 手裏剣'''』 | |||
image:furusyo3.jpg||[[風俗草紙]] 1953年(昭和28年)8月号、岩堀光『'''秘色 大阪城繪巻'''』 | |||
image:furusyo4.jpg||[[裏窓]] 1955年(昭和332年)1月号、山田重義『'''痴情仏心'''』 | |||
画像:furusyo.jpg|[[古正英生]] [[風俗奇譚]] 1961年(昭和36年)7月号より] | |||
image:furusyo05.png||[[水際隆司]]『'''被虐の目覚め'''』(挿絵:[[古正英文]])[[SMキング]] 1974年(昭和49年)6・7月号より。 | |||
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== 引用文献== | == 引用文献== |
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ふるしょう ひでお(生年不詳)。1950-70年代に風俗草紙、風俗奇譚、裏窓、SMセレクト、SMキングなどの多くの雑誌に挿絵。「気軽に引き受け」「仕事が早い」と濡木痴夢男は述懐。
概要
絵師。風俗草紙、風俗奇譚、裏窓、SMセレクト、SMキング、別冊SMファン、SMフロンティアなどに作品発表。
別名
略歴
1973年(昭和48年)5月21日、鬼プロとサン出版の企画による箱根での慰労会[1]。出席者は団鬼六、美濃村晃、堂昌一、小日向一夢、千草忠夫、安芸蒼太郎、小妻容子、前田寿安、沖渉二、古正英生、東桂史、中島喜美、織裳雪夫、松井籟子、蘭光生、天堂寺慎、山田彬弘、曽我部泰、佐藤重臣、ネコ、マリ。
エピソード
- 「何でも気軽に引き受け、奇妙でおもしろい味を出す古正英生」と濡木痴夢男は評する[2]。
- 「この人はやたらに描きまくっていた。本人も一流じゃなかったから、所謂二、三流雑誌にものすごく描いた。また仕事が早いので、依頼した翌日に持ってくる。家もどこか知らなかったけれど、とても人柄いいおじさんに見えた。ところが須磨にいわせると、古正さんがきたら一緒に歩かないほうがいいぞ、お尻をやたらなでられるからとされる人物だったようです」と濡木痴夢男は評する[2]。
作品
- 岩堀光『秘色 大阪城絵巻』風俗草紙1953年(昭和28年)8月号, p164の挿絵。
- 豊田一狼『桃色の怪盗』裏窓1959年(昭和34年)9月号, グラビアの挿絵。
- 万里小路崑『責め肌忍法』挿絵・古正英生。裏窓叢書第5集として。
- 風俗草紙1964年(昭和29年)4月号
- 風俗クラブ1964年(昭和29年)4月号
- 風俗奇譚1961年(昭和36年)7月号, p11
- 画集『縄と女』編集・譚奇会 1970年12月10日発行 三崎書房
- かびやかずひこ『両性陰花』S&Mコレクター1974年(昭和49年)5月号。挿絵:古正英生。
- 祝天魔『塗れた毒牙』SMキング1973年(昭和48年)3月号。挿絵::古正英正。
- 紫四郎『赤い雪』SMキング1975年(昭和50年)1月号。挿絵::古正英文。
書籍
作品
-
裏窓 1957年(昭和32年)11月号、挟山温『奥山振袖心中 手裏剣』
-
風俗草紙 1953年(昭和28年)8月号、岩堀光『秘色 大阪城繪巻』
-
裏窓 1955年(昭和332年)1月号、山田重義『痴情仏心』