「えろちか」の版間の差分

提供:SMpedia
 
(同じ利用者による、間の5版が非表示)
1行目: 1行目:
[[画像:Erotica.jpg|250px|thumbnail|[[えろちか]] 1969年(昭和44年)創刊号]]
[[画像:Erotica.jpg|250px|thumbnail|[[えろちか]] 1969年(昭和44年)創刊号]]
 
'''えろちか'''。1969年(昭和44年)に[[三崎書房]]から創刊。『'''あまとりあ'''』編集室の[[中田雅久]]がプラニング。初期には[[早川佳克]]もいた。[[蘭光生]]「猟奇博物館」が連載。
'''えろちか'''


== 概要 ==
== 概要 ==
「エロティシズムの総合研究誌」として1969年(昭和44年)7月創刊に創刊され1974年(昭和49年)の第48号まで続いた。
「エロティシズムの総合研究誌」として1969年(昭和44年)7月創刊に創刊され1974年(昭和49年)の第48号まで続いた。[[蘭光生]]の「猟奇博物館」などが連載。
==別名==
==別名==
EROTICA
[[EROTICA]]
 
== 発行年・出版社==
== 発行年・出版社==
[[三崎書房]]:創刊号〜第43号
[[三崎書房]]:創刊号〜第43号
15行目: 15行目:
== 主な出来事==
== 主な出来事==
1969年(昭和44年)7月、創刊。表紙はグスタフ・クリムト(Gustav Klimt)の「ダナエ(Danaë)」。[[福田和彦]]、奈良林祥、清岡純子、あきやま・まさみ。藤沢 一郎、林美一など。
1969年(昭和44年)7月、創刊。表紙はグスタフ・クリムト(Gustav Klimt)の「ダナエ(Danaë)」。[[福田和彦]]、奈良林祥、清岡純子、あきやま・まさみ。藤沢 一郎、林美一など。
1970年(昭和45年)3月、[[蘭光生]]「猟奇博物館」が連載開始。


1973年(昭和48年)、新年特大号で「[[梅原北明]]特集号」
1973年(昭和48年)、新年特大号で「[[梅原北明]]特集号」
27行目: 29行目:
*1:「レスビアにズム:艶冶なる密室への招待」
*1:「レスビアにズム:艶冶なる密室への招待」
*2:「下着フェティストY氏の場合パンティの歴史」
*2:「下着フェティストY氏の場合パンティの歴史」
*4:「わが耀ける汚辱の世界」
*4:「環境のエロス」
*5:「AMERICAN SEXTON  暴虐と悦楽」
*5:「AMERICAN SEXTON  暴虐と悦楽」
*7:「メイキング・ラブ100+1 A man with a maid」
*7:「メイキング・ラブ100+1 A man with a maid」
*42:「エロスの開拓者 [[梅原北明]]の仕事」
*42:「エロスの開拓者 [[梅原北明]]の仕事」
==別冊==
==別冊==
*猟奇大画報編集部編『'''猟奇大画報'''』([[駿河台書房]], 不明)([[上田青柿郎]]『'''縄肌えろとまにあ'''』など収載)[[EROTICA]]47として。


== 脚注==
== 脚注==

2016年1月5日 (火) 08:17時点における最新版

えろちか 1969年(昭和44年)創刊号

えろちか。1969年(昭和44年)に三崎書房から創刊。『あまとりあ』編集室の中田雅久がプラニング。初期には早川佳克もいた。蘭光生「猟奇博物館」が連載。

概要

「エロティシズムの総合研究誌」として1969年(昭和44年)7月創刊に創刊され1974年(昭和49年)の第48号まで続いた。蘭光生の「猟奇博物館」などが連載。

別名

EROTICA

発行年・出版社

三崎書房:創刊号〜第43号

駿河台書房:第44号〜第48号

発行人・編集人

主な出来事

1969年(昭和44年)7月、創刊。表紙はグスタフ・クリムト(Gustav Klimt)の「ダナエ(Danaë)」。福田和彦、奈良林祥、清岡純子、あきやま・まさみ。藤沢 一郎、林美一など。

1970年(昭和45年)3月、蘭光生「猟奇博物館」が連載開始。

1973年(昭和48年)、新年特大号で「梅原北明特集号」

えろちか復刊第一号 1973年(昭和48年)11月号

1973年(昭和48年)11月、駿河台書房から復刊第一号。

エピソード

特集号

  • 1:「レスビアにズム:艶冶なる密室への招待」
  • 2:「下着フェティストY氏の場合パンティの歴史」
  • 4:「環境のエロス」
  • 5:「AMERICAN SEXTON  暴虐と悦楽」
  • 7:「メイキング・ラブ100+1 A man with a maid」
  • 42:「エロスの開拓者 梅原北明の仕事」

別冊

脚注

お役たちweb