「岩田専太郎」の版間の差分
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==概要== | ==概要== | ||
戦前戦後を代表する挿絵画家。吉川英治、大佛次郎、[[江戸川乱歩]]などの挿絵を手がけた。時代考証、文筆家としても知られる。[[伊藤晴雨]]とも交友関係があった模様。 | 戦前戦後を代表する挿絵画家。吉川英治、大佛次郎、[[江戸川乱歩]]などの挿絵を手がけた。時代考証、文筆家としても知られる。[[伊藤晴雨]]とも交友関係があった模様。 | ||
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1920年(大正9年)、[[講談雑誌]]3月号の竜斎貞山「音羽屋火事」、斎藤金鴬「床下の小函」の挿絵を担当。 | 1920年(大正9年)、[[講談雑誌]]3月号の竜斎貞山「音羽屋火事」、斎藤金鴬「床下の小函」の挿絵を担当。 | ||
1924年(大正13年)、[[プラトン社]]から創刊された『'''苦楽'''』で挿絵担当。 | |||
1930年(昭和5年)、[[江戸川乱歩]]の連載小説『'''魔術師'''』(講談倶楽部)、『'''吸血鬼'''』(報知新聞)の挿絵担当。 | |||
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*[[伊藤晴雨]]と交友があった。 | *[[伊藤晴雨]]と交友があった。 | ||
*[[富永謙太郎]]・[[志村立美]]らとともに「御三家」と呼ばれた。 | *[[富永謙太郎]]・[[志村立美]]らとともに「御三家」と呼ばれた。 | ||
*[[春日章]] | *[[春日章]]は[[岩田専太郎]]を私淑していた。 | ||
*挿絵に描くヒロインのモデルは年中かわっており、特定の女性をイメージしている訳ではないと語っている。 | |||
==代表作== | ==代表作== | ||
*舟橋聖一『'''切られお富'''』in [[りべらる]]1947年(昭和22年)2月号の挿絵。 | *舟橋聖一『'''切られお富'''』in [[りべらる]]1947年(昭和22年)2月号の挿絵。 | ||
*[[山手樹一郎]]『'''野ざらし姫'''』[[講談倶楽部]]1953年(昭和28年)4月号。挿絵:[[岩田専太郎]]<ref group="注">[[須磨利之|高月大三]]『'''戦後の挿繪に現れた女の責め場'''』[[奇譚クラブ]] 1953年(昭和28年)5月号, [http://nawa-art.com/backnumber/1950/195305/01/008.html 口絵]で紹介されている。</ref>。 | |||
*[[岩田専太郎]]『'''さし絵三十年'''』読売新聞 1955年(昭和30年)3月4日 | |||
*[[岩田専太郎]]『'''さし絵は無用か'''』読売新聞 1955年(昭和30年)9月13日 | |||
*『'''艶画録'''』『'''続・艶画録'''』『'''続々・艶画録'''』 | |||
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2015年3月22日 (日) 16:29時点における最新版
いわた せんたろう、1901年(明治34年)-1974年(昭和49年)。富永謙太郎・志村立美らとともに「御三家」と呼ばれた戦前戦後を代表する挿絵画家。伊藤晴雨とも交友があった。堂昌一が私淑。
概要
戦前戦後を代表する挿絵画家。吉川英治、大佛次郎、江戸川乱歩などの挿絵を手がけた。時代考証、文筆家としても知られる。伊藤晴雨とも交友関係があった模様。
別名
略歴
1920年(大正9年)、講談雑誌3月号の竜斎貞山「音羽屋火事」、斎藤金鴬「床下の小函」の挿絵を担当。
1924年(大正13年)、プラトン社から創刊された『苦楽』で挿絵担当。
1930年(昭和5年)、江戸川乱歩の連載小説『魔術師』(講談倶楽部)、『吸血鬼』(報知新聞)の挿絵担当。
エピソード
- 村田誠一『戦前戦後の挿絵に現れた責め縛り繪』奇譚クラブ 1953年(昭和28年)8月号, 口絵で紹介されている。
- 高月大三『戦後の挿繪に現れた女の責め場』奇譚クラブ 1953年(昭和28年)5月号, 口絵で紹介されている。
- 伊藤晴雨と交友があった。
- 富永謙太郎・志村立美らとともに「御三家」と呼ばれた。
- 春日章は岩田専太郎を私淑していた。
- 挿絵に描くヒロインのモデルは年中かわっており、特定の女性をイメージしている訳ではないと語っている。
代表作
- 舟橋聖一『切られお富』in りべらる1947年(昭和22年)2月号の挿絵。
- 山手樹一郎『野ざらし姫』講談倶楽部1953年(昭和28年)4月号。挿絵:岩田専太郎[注 1]。
- 岩田専太郎『さし絵三十年』読売新聞 1955年(昭和30年)3月4日
- 岩田専太郎『さし絵は無用か』読売新聞 1955年(昭和30年)9月13日
- 『艶画録』『続・艶画録』『続々・艶画録』