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[[画像:2ndaoi.jpg|150px|thumbnail|[[二代目葵マリー]]。[[SMスピリッツ]]1988年(昭和63年)7月号より。]]
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'''にだいめあおいまりー'''
==概要==
1988年(昭和63年)頃、半年ほど活動していたミストレス。
==別名==
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==略歴==
1988年(昭和63年)4月頃、[[葵龍太郎]]が社長の[[ブルーシャトー]]赤坂店と、中野店の二店舗に。週に1回合同で中野店でSMショーを開催しており[[二代目葵マリー]]が出演していた<ref>[[SMスピリッツ]]1988年(昭和63年)7月号</ref>。中野店は[[中野クィーン]]のビルの3F<ref>[[SMスピリッツ]]1988年(昭和63年)5月号</ref>。
 
==エピソード==
*「二代目は・・・(半年で)初代が引退を言い渡した」「四代目はマンガ家で風俗経験もあるチャコという子が襲名することになっていた・・・初代と私が逮捕されている間に(2000)・・逃げちゃった」<ref name="Jitsuwa">『'''波瀾万丈ドキュメント SM女王 [[三代目葵マリー]]'''』[[週刊実話]]増刊 週刊実話ザ・タブー 2019年(平成31年)4月13日号</ref>。
 
==代表作==
== 引用文献==
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==注釈==
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==つながり==
 
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2024年1月1日 (月) 11:16時点における最新版

マニア倶楽部1988(昭和63年)10月号に典子の女店主として紹介されている北條小夜子二代目葵マリーを短期間名乗っていたか、あるいは襲名予定で実現しなかったかと思われる。
二代目葵マリーと紹介されている紅乱SMスピリッツ1988年(昭和63年)8月号より。

にだいめあおいまりー

概要

1980年代後半に目立った表舞台からの引退を表明する初代葵マリーの後継者として二代目葵マリーが短期間活動していたが、二代目の襲名にはやや混乱があったことが伺える。当初は赤坂ブルーシャトウの女王様であった北条小夜子二代目葵マリーを襲名させる予定であったらしく、このことは週刊読売1987年(昭和62年)8月30日号の記事[1]、『ブルーシャトー引退記念公演』のビデオの中で初代葵マリーが「2代目を北条小夜子に譲る」と語っていること、および、当時北条小夜子と親交のあった日本悪魔クラブの運営者でもあったわたなべ氏の証言に支持されている。一方で、SM雑誌等には別人の紅乱二代目葵マリーとして活動していることを示す記事が1989年頃に存在する。おそらく、初代葵マリーは当初、赤坂ブルーシャトウにいた北条小夜子二代目葵マリーを襲名させるつもりであったものの、何らかの理由で初代葵マリーが新たに経営を始めた奴隷契約書紅乱二代目葵マリーを襲名させたものと思われる。いずれにせよ、二代目葵マリーは短命に終わったものと思われる。

別名

北条小夜子 紅乱

略歴

1980年代、北条小夜子赤坂ブルーシャトウに在籍。

1987年(昭和62年)8月28日、アルファイン葵マリーの引退興行。ショーの最後に北条小夜子に二代目葵マリーの称号を与える戴冠式をおこなう[1](『ブルーシャトー引退記念公演』のビデオで初代葵マリーが「2代目北条小夜子に譲る」と語っている)。

1987年(昭和62年)頃、おそらくこの頃、北条小夜子日本悪魔クラブのSMショーを観劇し、運営スタッフのわたなべ氏に自分が三代目葵マリーを襲名すると述べている(下記エピソード参照)。

1987年(昭和62年)11月、マニア倶楽部11月号に奴隷契約書のオープン記事。ママ女王様として紅乱(くれない らん)が紹介されている。

1988年(昭和63年)4月頃、葵龍太郎が社長のブルーシャトー赤坂店と、中野店の二店舗に。週に1回合同で中野店でSMショーを開催しており二代目葵マリーが出演していた[2]。中野店は中野クィーンのビルの3F[3]

1989年(平成2年)1月、S&Mシークレット1989年(平成2年)1月号に二代目葵マリーのカラーグラビア。

1989年(平成2年)頃、奴隷契約書二代目葵マリーこと紅乱が中心。月に一度アルファ・インでSMショーを開催[4]

エピソード

  • 日本悪魔クラブのSMショーを運営していたわたなべ氏は「お客様から声をかけてくるケースもあった。その一人が北条小夜子さん。「あなたたちのやっているのは、SMじゃない!」。北条さんの第一声は、そんな内容だった。そして、さらに、自身のことを「二代目葵マリーを襲名することになった」とも言っていた[5]」「少なくとも北条さんが初対面のときに自身を二代目であると名乗ったのは間違いないこと。その後、自ら二代目であると発言する場面には出くわさなかったが、私は実体験として二代目は北条さんだと断言しておく[6] 」と回想している。
  • 三代目葵マリーは「二代目は・・・(半年で)初代が引退を言い渡した」「四代目はマンガ家で風俗経験もあるチャコという子が襲名することになっていた(が)・・逃げちゃった」[7]と回想している。

ギャラリー

代表作

引用文献

  1. 1.0 1.1 1.2 名士がズラリ会員だった超高級クラブ"SMの女王"がついに引退!週刊読売1987年(昭和62年)8月30日号
  2. SMスピリッツ1988年(昭和63年)7月号
  3. SMスピリッツ1988年(昭和63年)5月号
  4. S&Mスナイパー1990年(平成2年)1月号
  5. X, 2023年12月20日の書き込み
  6. X, 2023年12月20日の書き込み
  7. 波瀾万丈ドキュメント SM女王 三代目葵マリー週刊実話増刊 週刊実話ザ・タブー 2019年(平成31年)4月13日号

注釈

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