「D・ハルマ」の版間の差分

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1974年(昭和49年)頃からストリップの劇場でパートナーとSMショーをやっていた模様。1983年(昭和58年)頃の[[にっかつ]]SM映画で緊縛指導をした<ref name="ex01">[[D・ハルマ|Dr. ハルマ]]『プロ緊縛師への道(1)』[[イマージュSM]]1984年(昭和59年)創刊号, p154-159</ref>。
1974年(昭和49年)頃からストリップの劇場でパートナーとSMショーをやっていた模様。1983年(昭和58年)頃の[[にっかつ]]SM映画で緊縛指導をした<ref name="ex01">[[D・ハルマ|Dr. ハルマ]]『プロ緊縛師への道(1)』[[イマージュSM]]1984年(昭和59年)創刊号, p154-159</ref>。
==別名==
==別名==
[http://www.nawapedia.com/index.php?title=english english]
[[Dr. ハルマ]]
[[Dr. ハルマ]]
[[D・ハルマ]]
[[D・ハルマ]]
[[マンタム]]
[[マンタム]]
Mantam  
Mantam  
田村秋彦
==略歴==
1975年(昭和50年)、大阪芸大で初の映像作品となる「畜骸曲舞団」を制作<ref name="Dice">[http://www.webdice.jp/event/detail/11025/?date=20170510 マンタム トークショー+「鳥の王」サイン会/錬金術師の為の装飾品ワークショップ@夕顔楼]</ref>。
1979年(昭和54年)、上京。イメージフォーラムで「normal lamp」上映<ref name="Dice"></ref>。
1984年(昭和59年)、古道具屋の修業<ref name="Dice"></ref>。


==略歴==
2010年(平成22年)、パラボリカ・ビスで初の個展<ref name="Dice"></ref>。
1975年(昭和50年)、初の映像作品となる「畜骸曲舞団」を制作<ref name="Dice">[http://www.webdice.jp/event/detail/11025/?date=20170510 マンタム トークショー+「鳥の王」サイン会/錬金術師の為の装飾品ワークショップ@夕顔楼]</ref>。


==エピソード==
==エピソード==

2018年3月20日 (火) 21:42時点における版

どくたー はるま、(生年月日不詳)。1980年代のにっかつSM映画の何本かで緊縛師としての名前がクレジット。同時期にSMミラージュ誌上で『実用SMテクニック講座』を連載。ストリップの劇場でSMショーもおこなっていた模様。

概要

1974年(昭和49年)頃からストリップの劇場でパートナーとSMショーをやっていた模様。1983年(昭和58年)頃のにっかつSM映画で緊縛指導をした[1]

別名

Dr. ハルマ D・ハルマ マンタム Mantam 田村秋彦

略歴

1975年(昭和50年)、大阪芸大で初の映像作品となる「畜骸曲舞団」を制作[2]

1979年(昭和54年)、上京。イメージフォーラムで「normal lamp」上映[2]

1984年(昭和59年)、古道具屋の修業[2]

2010年(平成22年)、パラボリカ・ビスで初の個展[2]

エピソード

代表作

映画

雑誌

引用文献

注釈


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