百花苑

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概要

東京都墨田区向島にある江戸時代から続く梅で有名な庭園、および建物を指す。大正時代に泉鏡花などがしばしば会合に用いており文化人の集まるサロンのような存在だった。伊藤晴雨も泉鏡花の会に参加している。戦後、濡木痴夢男らが割烹旅館として、しばしば撮影などに用いているが、大正時代の建物と同じものなのか、違うものなのかは不明。

別名

百花苑

所在地

東京都墨田区向島

歴史

(庭園の歴史と割烹旅館の歴史が交じっているので注意)

江戸文政期(1804年〜)、骨とう商を営んでいた佐原鞠塢が文人墨客の助けを得て、元旗本、多賀氏の屋敷跡に花園を開園。

1919年(大正8年)7月、「怪談会」が催され、泉鏡花、平山芦江、三宅孤軒、久保田万太郎、錦城斎典山、伊井容峰、花柳章太郎と共に、伊藤晴雨が怪談を一席披露している[1]

1938年(昭和13年)、小倉未亡人から東京市に花園を寄付。

1976年(昭和51年)11月14日、割烹旅館の百花園で開かれた星野小麿が主催する第1回「解語の花」で枷井克哉濡木痴夢男が出会う。

1978年(昭和53年)、国の名勝及び史跡の指定を受ける。

現在、東京都の都立庭園。

エピソード

  • 「四季百花の乱れ咲く園」という意味で百花園と名づけられた。
  • 「喜多野家の別荘」と泉鏡花が記している[2]

引用文献

  1. 斎藤夜居伝奇伊藤晴雨』(豊島書房, 1966)
  2. 泉鏡花『私の事

注釈

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