浅草座

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概要

明治時代に新派の芝居をおこなっていた小劇場と戦後にストリップ小屋として知られた『浅草座』があるが、両者が関係があるのかは調査中。

別名

所在地

浅草新猿屋町(新派の劇場)

歴史

1896年(明治29年)9月8日、伊藤晴雨が浅草・浅草座川上音二郎の「日清戦争」を観劇[1]

1950年(昭和25年)、浅草座という「小劇場」スタイルのストリップ劇場ができてくる。音楽隊の代わりにレコード。踊りの出来ないモデルのお酌をされたりゲームをしたり。踊りの下手なグレース松原が最初。第2期の美人座、カジノ座もこの系統。「入浴ショー」などで注目[2]

1951年(昭和26年)、入浴ショーが浅草でブームに。「浅草座」は洋風のバスタブ。

エピソード

引用文献

  1. 伊藤晴雨其の頃を語る(一) 責め場の舞台装置法奇譚クラブ1953年(昭和28年)6月号, p134
  2. 小沢昭一深井俊彦、中谷陽「消える灯・燃える炎ー戦後ストリップ史」新劇、1973年(昭和48年)9月号

注釈

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