「昭和SMの歴史」の版間の差分

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1952年(昭和27年)、[[奇譚クラブ]]5・6月号からB5版からA5版へと変わり、内容も次第にSMを中心としたものに変わっていく。[[奇譚クラブの分譲写真]]の開始に相当する『[http://nawa-art.com/backnumber/1950/195206/177.html 裸婦肉体美写真実費分譲]』の案内。「責められる女各態」とある。
1952年(昭和27年)、[[奇譚クラブ]]5・6月号からB5版からA5版へと変わり、内容も次第にSMを中心としたものに変わっていく。[[奇譚クラブの分譲写真]]の開始に相当する『[http://nawa-art.com/backnumber/1950/195206/177.html 裸婦肉体美写真実費分譲]』の案内。「責められる女各態」とある。
1953年(昭和28年)4月、[[奇譚クラブ]]に[[沼正三]]が登場。


1953年(昭和28年)6月4日、[[伊藤晴雨]]「責めの劇団」の第1回公演が[[市川鈴本]]で。
1953年(昭和28年)6月4日、[[伊藤晴雨]]「責めの劇団」の第1回公演が[[市川鈴本]]で。

2013年4月29日 (月) 11:13時点における版

古い時代

戦前

昭和20年代(1945年〜1954年)

1947年(昭和22年)1月1日、帝都座五階劇場のオープンとして『ヴィナスの誕生』公演。ストリップの源泉ともいわれる。

1947年(昭和22年)5月、猟奇第4号に伊藤晴雨『虐げられたる日本婦人』。

1947年(昭和22年)10月、奇譚クラブ創刊。カストリ雑誌時代の奇譚クラブである。

1948年(昭和23年)10月、遅くとも奇譚クラブ通巻9号から須磨利之辻村隆が登場。

1949年(昭和24年)12月、讀切ロマンス創刊。

1951年(昭和26年)暮、百万弗劇場での伊藤晴雨の作・演出による『雪地獄生娘』『火責め水責めの生娘』が大ヒット。

1951年(昭和26年)2月、高橋鐵あまとりあが創刊。

1952年(昭和27年)、讀切ロマンス2月号に緊縛写真が登場。

1952年(昭和27年)、奇譚クラブ5・6月号からB5版からA5版へと変わり、内容も次第にSMを中心としたものに変わっていく。奇譚クラブの分譲写真の開始に相当する『裸婦肉体美写真実費分譲』の案内。「責められる女各態」とある。

1953年(昭和28年)4月、奇譚クラブ沼正三が登場。

1953年(昭和28年)6月4日、伊藤晴雨「責めの劇団」の第1回公演が市川鈴本で。

1953年(昭和28年)7月、風俗草紙創刊。

1954年(昭和29年)2月15日、風俗科斈第2巻第2号に上田青柿郎の分譲写真の案内「耽美派通信」。

昭和30年代(1955年〜1964年)

昭和40年代(1965年〜1974年)

昭和50年代(1975年〜1984年)

昭和60年代から平成へ(1985年〜1994年)

20世紀から21世紀へ(1995年〜2004年)

これからのSM(2005年〜 )

引用文献

注釈

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つながり