小林悟

提供:SMpedia
2010年5月2日 (日) 22:16時点におけるU (トーク | 投稿記録)による版 (→‎エピソード)

こばやし さとる、1930年(昭和5年)8月1日-2001年(平成13年)11月15日

活動内容

別名

Satoru Kobayashi 、左次郎、松本千之

略歴

1930年(昭和5年)8月1日、長野県に生まれる[1]

1950年代、早稲田大学卒業[2]

1954年(昭和29年)、新東宝傍系の近江プロにはいる[注 1][2]。やがて新東宝に移る。

1959年(昭和34年)、『狂った欲望』(新東宝)で監督デビュー。

1961年(昭和36年)、新東宝が倒産後、大蔵映画に参加。

1962年(昭和37年)3月、最初のピンク映画とされる『肉体の市場』[注 2]

1969年代、アメリカと台湾に渡る。台湾では現地語による監督作品[1]

1972年(昭和47年)、松竹が東活を作った際に帰国してカムバック[2]

エピソード

  • 『肉体の市場』をピンク映画の第1号とするのは映画評論家の村井実が提唱。他に本木荘二郎『肉体自由貿易』(同年11月)とする後藤敏説もある。
  • 『肉体の市場』は公開後すぐの3月15日に公然猥褻の警告を受け、該当部分をすぐカット。
  • トリフォーやジャン=リュック・ゴダールに影響され『肉体の市場』を作った[3]

代表作

引用文献

  1. 1.0 1.1 Wikipediaより。
  2. 2.0 2.1 2.2 鈴木義昭『ピンク映画水滸伝 その二〇年史』(1983, 青心社)
  3. 『アダルトメディア・ランダムノート』(ミリオン出版, 2004)

注釈

  1. 大蔵貢の実弟近江俊郎が起こした
  2. 主演:香取環。助監督は小川欽也。

お役たちweb

つながり