「向井一也」の版間の差分

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1974年(昭和49年)8月、[[奇譚クラブ]]12月号の「[http://nawa-art.com/backnumber/1970/197412/03/228.html 奇クサロン]」に舟橋一郎「[[向井一也]]・[[青木順子]]の『サディストの告白』を観て」が掲載。
1974年(昭和49年)8月、[[奇譚クラブ]]12月号の「[http://nawa-art.com/backnumber/1970/197412/03/228.html 奇クサロン]」に舟橋一郎「[[向井一也]]・[[青木順子]]の『サディストの告白』を観て」が掲載。


1974年(昭和49年)8月、[[奇譚クラブ]]12月号の「[http://nawa-art.com/backnumber/1970/197412/03/237.html 編集部便り]」に「大阪キタのサパークラブ『[[[[シアター喫茶・スキャンダル]]|スキャンダル]]』で([[向井一也]]氏の)『サディストの告白』が8月末に公開」とある。
1974年(昭和49年)8月、[[奇譚クラブ]]12月号の「[http://nawa-art.com/backnumber/1970/197412/03/237.html 編集部便り]」に「大阪キタのサパークラブ『[[シアター喫茶・スキャンダル|スキャンダル]]』で([[向井一也]]氏の)『サディストの告白』が8月末に公開」とある。


==エピソード==
==エピソード==

2012年9月2日 (日) 11:57時点における版

むかい かずや、19??年(昭和??年)-

概要

パフォーマー。1964年(昭和39年)頃から青木順子をパートナーとしてストリップ劇場などの舞台でSMショーをおこなっていた。その内容は観念的な芝居だったようだが、向井一也による青木順子の責めシーンは奇譚クラブでもたびたび話題になっている。1968年(昭和43年)には、劇団「新しい波」を、1974年(昭和49年)頃には「オリジナルの会」を結成しており、当時の小劇場のムーブメントの影響を受けた活動をしていたものと思われる。長田英吉向井一也の芝居の影響を受けたとされている。

別名

略歴

1964年(昭和39年)年頃、青木順子ショウを東京や名古屋で。

1968年(昭和43年)、劇団「新しい波」の設立[1][注 1]

1974年(昭和49年)頃、「オリジナルの会」[注 2]を開催しており、長田英吉が影響を受ける。

1974年(昭和49年)5月、5月25日-29の『サディストの告白 第三章・ペット』の告知が奇譚クラブ7月号, p243に。奇譚クラブ9月号, p242には「青木順子「サディストの告白』と、その部台裏』で公演の様子[注 3]

1974年(昭和49年)8月、奇譚クラブ12月号の「奇クサロン」に舟橋一郎「向井一也青木順子の『サディストの告白』を観て」が掲載。

1974年(昭和49年)8月、奇譚クラブ12月号の「編集部便り」に「大阪キタのサパークラブ『スキャンダル』で(向井一也氏の)『サディストの告白』が8月末に公開」とある。

エピソード

  • 青木順子と一緒にやっていたが青木は途中で病気になる。
  • 奇譚クラブ1965年(昭和40年)4月号に辻村隆の「青木順子だより」がある。それによると「青木順子ショウの向井一也氏より便りがあり」「名古屋の日劇ミュージックで10日間公演」「1月には東京「月光館」「本木セントラル」宇都宮「国際劇場」」。

代表作

参考資料

  1. 辻村隆『サロン楽我記』奇譚クラブ 1968(S43)年11月号, p284

注釈

  1. 連絡先は、新宿の実験小劇場モダンアート、あるいは名古屋の今池アングラ劇場内の向井常、とある。
  2. 例えば奇譚クラブ1974年11月号p233に「オリジナルの会主催「矛盾の告白」の案内(10.28-31, シアター・グリーン)、p242に8月公演の後書きがある。
  3. 新宿アートヴィレッジは狭いので次回は8月14日は シアター・グリーンで各章連続公演を行うと予告。

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