今井英臣
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概要
別名
歴史
1973年(昭和48年)8月、新宿歩行者天国 にて今井英臣とその仲間 による野外演劇『イリュミナシヨン 』[1]。
1974年(昭和49年)4月9日-14日、六本木自由劇場にて今井英臣作・演出によるはみだし劇場『春風騒乱顛末記』。出演:外波山文明[2]。
1974年(昭和49年)10月2日-8日、登戸・多摩川河原野外劇にて今井英臣作によるはみだし劇場『唄入り乱極道』[2][注 1]。
1974年(昭和49年)12月13日-16日、川崎堀内レストランにて今井英臣作、外波山文明演出によるはみだし劇場『砂漠のような川崎で…』[2]。
1976年(昭和51年)10月13日、赤坂国際芸術家センターにて劇団今井英臣事務所の『激死』。作・伊勢寓人、演出:今井英臣[3]。
1980年(昭和55年)9月中毎日曜日、日本悪魔クラブの『SM撮影会”春乱”』作・演出:国社連、出演:村田和江、笹木よし子。問い合わせ先:劇団今井英臣事務所[4][5]。
1994年に東京中目黒に「アクターズ・オフィス」設立。
1998年(平成10年)9月23日、ザ・ポケットにてアクターズ・オフィスによる『今井英臣追悼公演 第2弾。青空のメロディー』。演出:水上竜士[6]。
エピソード
資料
引用文献
注釈
- ↑ 「多摩川河原の野外劇「唄入り乱極道(みだれごくどう)」ポスターのタイトルは三國連太郎の手描き文字(それは脚本・今井英臣との繋がりで頼んだ)。」外波山文明の東スポweb (https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/68171)