「アリアドーネの会」の版間の差分

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[[画像:ariadone2.jpg|350px|thumbnail|1981年(昭和56年)7月[[ニューモダンアート]]でのオープン記念特別興行『[[アドリアーネの会]]』の舞台。『'''風俗最前線1981'''』[[劇画ブッチャー]]1981年(昭和56年)12月号増刊より。]]
[[画像:ariadone2.jpg|350px|thumbnail|1981年(昭和56年)7月[[ニューモダンアート]]でのオープン記念特別興行『[[アドリアーネの会]]』の舞台。『'''風俗最前線1981'''』[[劇画ブッチャー]]1981年(昭和56年)12月号増刊より。]]
[[画像:ariadone3.jpg|300px|thumbnail|1981年(昭和56年)7月[[ニューモダンアート]]でのオープン記念特別興行『[[アドリアーネの会]]』の舞[[川上譲治]]『[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4022558288?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4022558288 さらばストリップ屋]』(朝日新聞社, 1988)号増刊より。]]
[[画像:ariadone4.jpg|300px|thumbnail|1981年(昭和56年)7月[[ニューモダンアート]]でのオープン記念特別興行『[[アドリアーネの会]]』の舞[[川上譲治]]『[http://www.amazon.co.jp/gp/product/4022558288?ie=UTF8&tag=iq05-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4022558288 さらばストリップ屋]』(朝日新聞社, 1988)より。]]


'''ありあどーねのかい'''。[[大駱駝館]]の[[カルロッタ池田]]が結成した女性だけの暗黒舞踏。1981年には[[川上譲治]]プロデュースで「[[ニューモダンアート]]」他のストリップ劇場で人気。
'''ありあどーねのかい'''。[[大駱駝館]]の[[カルロッタ池田]]が結成した女性だけの暗黒舞踏。1981年には[[川上譲治]]プロデュースで「[[ニューモダンアート]]」他のストリップ劇場で人気。
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1974年(昭和49年)、[[大駱駝館]]の中心メンバーだった[[カルロッタ池田]]を中心として[[アリアドーネの会]]が結成<ref name="Avant">[http://www.officej1.com/70avna_gard/ 1970年代 日本アヴァンギャルド]</ref>。
1974年(昭和49年)、[[大駱駝館]]の中心メンバーだった[[カルロッタ池田]]を中心として[[アリアドーネの会]]が結成<ref name="Avant">[http://www.officej1.com/70avna_gard/ 1970年代 日本アヴァンギャルド]</ref>。


1975年(昭和50年)年7月、四谷公会堂にて「牝火山」公演。
1975年(昭和50年)年7月3日-6日、四谷公会堂にて「牝火山」公演。
 
1975年(昭和50年)10月、[[ヤングウインキー]]10月号で特集。


1975年(昭和50年)11月10日、11日、[[シアター喫茶・スキャンダル]]にて'''[[アリアドーネの会]]'''公演。出演:[[カルロッタ池田]]、宇比くらら、ミゼール花岡
1975年(昭和50年)11月10日、11日、[[シアター喫茶・スキャンダル]]にて'''[[アリアドーネの会]]'''公演。出演:[[カルロッタ池田]]、宇比くらら、ミゼール花岡
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==エピソード==
==エピソード==
*[[室伏鴻]]や[[麿赤兒]]が振付・演出。
*[[室伏鴻]]や[[麿赤兒]]が振付・演出。
*1985年(昭和60年)8月31日、[[スカイ劇場]]のさよなら興行「ラストストリップ」に出演した[[プチ亜利益沙]]は元[[アリアドーネの会]]。


== 引用文献==
== 引用文献==

2023年10月31日 (火) 08:21時点における最新版

1981年(昭和56年)7月ニューモダンアートでのオープン記念特別興行『アドリアーネの会』の舞台。『風俗最前線1981劇画ブッチャー1981年(昭和56年)12月号増刊より。
1981年(昭和56年)7月ニューモダンアートでのオープン記念特別興行『アドリアーネの会』の舞川上譲治さらばストリップ屋』(朝日新聞社, 1988)より。

ありあどーねのかい大駱駝館カルロッタ池田が結成した女性だけの暗黒舞踏。1981年には川上譲治プロデュースで「ニューモダンアート」他のストリップ劇場で人気。

概要

カルロッタ池田が1974年(昭和49年)に設立した暗黒舞踏のグループ。女性のみの構成。

別名

アリアドーネの會

所在地

東京都大田区山王

歴史

1978年(昭和53年)12月鶴見橋ミュージックでの『アドリアーネの会』の新聞広告(大阪スポーツ)。
1981年(昭和56年)7月ニューモダンアートでのオープン記念特別興行『アドリアーネの会』の舞台。川上譲治すとりっぷ小屋に愛をこめて』(人間社, 2015.3.26)より。

1974年(昭和49年)、大駱駝館の中心メンバーだったカルロッタ池田を中心としてアリアドーネの会が結成[1]

1975年(昭和50年)年7月3日-6日、四谷公会堂にて「牝火山」公演。

1975年(昭和50年)10月、ヤングウインキー10月号で特集。

1975年(昭和50年)11月10日、11日、シアター喫茶・スキャンダルにてアリアドーネの会公演。出演:カルロッタ池田、宇比くらら、ミゼール花岡

1976年(昭和51年)11月、四谷公会堂にて「青の空」公演。

1977年(昭和52年)10月、四谷公会堂にて「刺青」公演。

1978年(昭和53年)12月31日-1月10日、鶴見橋ミュージックにて「アリアドーネの会 暗黒舞踏牝火山」。

1981年(昭和56年)7月1日、川上譲治企画による『ニューモダンアート』オープン記念特別興行『アドリアーネの会[注 1][2]

1981年(昭和56年)、パリ公演。

2014年(平成26年)9月26日、カルロッタ池田永眠。

エピソード

引用文献

注釈

  1. スカイ劇場以来のつきあい。大田区山王に事務所をもち、主宰者はカルロッタ池田。ヨーロッパ遠征の資金稼ぎにストリップ劇場に出る。反響が大きく、郡山ミュージック劇場他、6つの劇場を回り500万円を稼ぐ

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