白表紙時代

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奇譚クラブ1955年(昭和30年)10月号の表紙。写真は濡木痴夢男の提供に由来。
奇譚クラブ1960年(昭和35年)6月号の白表紙時代最後の表紙。

しらびょうししらびょうし時代。1955年(昭和30年)から1960年(昭和35年)までの白黒表紙時代を意味する奇譚クラブマニアの専門用語。当局の弾圧が厳しい時代に相当。天星社時代。

概要

1955年(昭和30年)10月号から1960年(昭和35年)5月号までの表紙が白黒印刷であった約5年間を意味する奇譚クラブマニアの間の専門用語。奇譚クラブ1955年(昭和30年)5月号が摘発され、6月号〜9月号が休刊した後から始まり、当局の目を意識した目立たない表紙となっており、グラビア写真も大幅に減っている。出版元が曙書房から天星社に変わった時期に一致し、天星社時代の前半に相当する。白表紙時代最初の表紙は濡木痴夢男の提供によるもので、口絵の写真、本文の多くも濡木痴夢男の手による[1]。当時の状況は「エロ法規制の歴史」を参照。

歴史

1954年(昭和29年)、風俗草紙2月号が摘発。奇譚クラブ3月号が摘発[注 1]風俗草紙4月号、奇譚クラブ4月号が摘発。6月号〜9月号、12月号〜1955年3月号が休刊。

1955年(昭和30年)3月25日、奇譚クラブ4月号が押収。容疑箇所は伊藤晴雨の「指人形」、古川裕子の「孤独」、二俣志津子の「悪魔の遊戯」[2]

1955年(昭和30年)4月28日、『四・二八いっせいとり締まり』で特価雑誌37種を摘発、35カ所を捜索して39人を検挙、26,664部を押収[3]

1955年(昭和30年)10月、奇譚クラブは『白表紙時代』に入る。1960年(昭和35年)まで。

1956年(昭和31年)7月、高橋鐵の『生心リポート』猥褻裁判が始まる[注 2]

エピソード

  • 天星社時代は、さらに1967年(昭和42年)まで続く。

関連作品

引用文献

  1. 濡木痴夢男「奇譚クラブ」の絵師たち』(河出書房新社, 2004)
  2. 奇譚クラブ』1955年(昭和30年)10月号。
  3. 中田雅久あまとりあ回顧録』in 藤本義一編『あまとりあ傑作選』(東京スポーツ新聞社, 1977)

注釈

  1. 濡木痴夢男の『魔性の姉妹』が対象。
  2. 1963年(昭和38年)1月に第一審で有罪。第二審も有罪、1970年(昭和45年)9月に最高裁で有罪が確定。

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