豊原国周
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とよはら くにちか、1835年(天保6年)6月30日-1900年(明治33年) 7月1日。幕末から明治にかけての絵師。「役者絵の国周」。伊藤晴雨が「芝居の似顔絵で責場の傑作が甚だ多い」「自ら女の被縛画をかくのが道楽であったらしく」と評す。
概要
幕末から明治にかけての絵師。歌川國貞の門人。「役者絵の国周」と称されるように歌舞伎役者の絵が人気[1]。
別名
english、荒川八十八、一鶯斎、豊春楼、花蝶斎、花蝶楼、華蝶斎、華蝶楼、一桃、歌清舎、曹玄子、米翁、鶯斎
略歴
1835年(天保6年)6月30日、東京に生まれる。
1848年(嘉永元年)、歌川國貞に弟子入り。
1900年(明治33年) 7月1日、永眠。
エピソード
- 伊藤晴雨『其の頃を語る(三) 明治期の被縛画家』奇譚クラブ1953年(昭和28年)8月号, p28で解説されている。
- 「芝居の似顔絵で責場の傑作が甚だ多い」[2]。
- 「貧乏此上なし」「年中酒の気を絶やしたことがない」「酒を呑むと女の責め場を書く癖」「自ら女の被縛画をかくのが道楽であったらしく」[2]。
- 「明治の写楽」と称せられる[1]。
- 住いと妻を変えることが癖[1]。
代表作
引用文献
注釈