歌川國貞
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うたがわ くにさだ、1786年(天明6年)-1865年(元治元年)12月15日
概要
江戸後期・幕末の浮世絵師。歌川豊國の弟子で三代目歌川豊國となる。役者絵や美人画で人気を博す。1820年代後半から1841年の天保の改革まで多数の枕絵を発表。
別名
english、三代目歌川豊国、角田庄五郎、五渡亭・香蝶楼・一雄斎、琴雷舎、北梅戸、富望山人、富望庵、桃樹園、月波楼、喜翁、浮世又平、不器用又平
略歴
1786年(天明6年)、本所の材木問屋に生まれる。6歳で歌川豊国の門下。
1825年(文政8年)、初代歌川豊國が永眠。「香蝶楼」という新しい号を用い始める。
1826年(文政9年)、『繪本 開談夜之殿』[注 1]を発表。
1841年(天保12年)5月〜1843年(天保14年)9月、水野越前による天保改革で遊女を題材とすることや、歌舞伎役者の似顔、名前、紋などを浮世絵に描くことが禁じられる。
1844年(弘化元年)、豊國を襲名。
1865年(元治元年)12月15日、永眠。
エピソード
- 江戸後期・幕末は「歌川派」に属する國貞、國芳、広重が人気を博した。
- 「歌川派」は、歌川豊春(1735~1814)を開祖とし、初代歌川豊國(1769~1825)で地位を確立。
代表作
- 歌川國貞『国貞 絵本 開談夜之殿―色摺半紙本三冊』(河出書房新社, 1996)