カストリ雑誌
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「カストリ雑誌」の定義
厳密に定義されているわけではなく、人によってその範囲もまちまち。戦後すぐの時期に、粗悪な紙[注 1]を用いて作られていたエロ雑誌が最大公約数的な定義[1]。
「カストリ」の語源
戦後まもなく非合法に製造されていたアルコール度の高い焼酎を「カストリ焼酎」と呼んでいた。日本酒を醸造する過程でできる酒の糟を原料として蒸留して作った「糟取焼酎」というものも存在していたが、この「糟取焼酎」と「カストリ焼酎」は別物。「カストリ焼酎」の場合は、米や芋を原料として、麹を加えた即製品。悪酒のために「三合」飲むと酔いつぶれるといわれたことと、「三号」で潰れてしまうことの語呂合わせで「カストリ雑誌」と命名されたと言われている。正当な雑誌を扱う出版社を「内神田」、カストリ雑誌などを扱う雑誌社を「外神田」と呼んでいた[2]。
主なカストリ雑誌
1946年(昭和21年)創刊
『りべらる』をカストリ雑誌の第一号とする人もいあるが、これはむしろ文芸雑誌[1]。
1947年(昭和22年)創刊
1947年春以降に裸の女性の表紙が増え出す[1]。
1948年(昭和23年)創刊
- 『スバル』1月
- 『猟奇ゼミナール』1月
- 『マダム』2月
- 『裏の裏』3月
- 『ユニーク』4月
- 『性苑』4月
- 『アベック』7月
1949年(昭和24年)創刊
「夫婦もの」全盛期の時代に入り、カストリ雑誌ブームは終わる。B5からA5の小型本化が進む。小型本をカストリ雑誌と区分しない場合も多い[1]。
- 『夫婦生活』6月
1950年(昭和25年)以降創刊
カストリ雑誌は既に終わっているとする人も多い。以下の雑誌もカストリ雑誌に区分されない場合が多い[1]。
- 『人間探求』1950年5月
- 『あまとりあ』1951年2月
トピック
- 1949年〜1953,4年に露天商で売られていたのは「ゾッキ本」であり、カストリ雑誌を解体・再構成して販売していたもの。
引用文献
注釈
- ↑ 仙花紙や馬糞紙。統制外であった。