スペシャリーS&M
『スペシャリーS&M』(すぺしゃりーえすえむ)は、SM雑誌である。
概要
「愛の提言誌」としてサンアンドムーンを離脱した世田介一が1978年(昭和53年)に創刊した雑誌で1983年(昭和58年)までに29冊が発行された。SUN&MOONのもつ実践マニアの情報交換誌としてのテイストを受け継いでいる。1979年(昭和54年)の第7号で編集人は世田介一から山谷秋人へ交代し、次第にビジュアル面も充実していく。後期には、SUN&MOONに関わっていた世田介一や浦戸宏が再び執筆陣に名を連ねている。早い段階からSMビデオの制作にも関与していたと思われる。
発行年・出版社
1978年(昭和53年)6月、日月舎
発行人・編集人
編集・発行者:世田介一
編集・発行者:山谷秋人
主な出来事
1975年(昭和50年)3月、奇譚クラブ休刊。
1977年(昭和52年)3月、世田介一が日月舎からSUN&MOONを創刊。
1978年(昭和53年)2月、編集人を浦戸宏に据え、SUN&MOONはサンアンドムーンと誌名を変更し、発売元も絃映社に変更。
1978年(昭和53年)3月、世田介一はサンアンドムーンを離れる。同誌は浦戸宏が12月まで維持するが絃映社の倒産でえすとえむと誌名変更し、白竜社から1981年(昭和56年)4月まで発行。
1978年(昭和53年)6月、サンアンドムーンを離れた世田介一がスペシャリーS&Mを創刊。『悦楽交歓者 記録写真特集』。六本木薫他が書いている。
1978年(昭和53年)、通算2号。志摩紫光の名前が登場。
1978年(昭和53年)、通算3号。大共社の広告が出だす。「愉芽の叢説」の副題も追加。
1979年(昭和54年)、通算5号『異常初体験特集』。大共社の広告で「スペシャリーS&M臨時増刊第1号 惑溺の競艶写真特集」「緊縛フォト集」が出ている。編集後記には「大共社のグラフィック誌に日月舎の名前が併記されているのでファンが心配」といった内容のことが書いてある。
1979年(昭和54年)6月20日、大共社より『スペシャリーS&M 特別臨時増刊第2号 惑溺の競艶写真特集』
1979年(昭和54年)7月1日、通算6号。遠藤道子の特集。大共社の分譲フォト(小山啓子)の広告。伊東洋一の名前。
1979年(昭和54年)9月、通算7号。日月舎の住所が「新宿区西早稲田2-17-19大共社スペシャリー編集部」に変更。IKIKUの予告広告。
1979年(昭和54年)11月10日、通算8号。宮島貴子の特集。企画編集が世田介一から山谷秋人に交代。発行所も大共社に変更。
1980年(昭和55年)1月20日、通算9号。『別冊スペシャリーSM』創刊の広告が。
1980年(昭和55年)7月15日、通算12号。大共社の住所が「新宿区西新宿2-16-9」に変更。
1980年(昭和55年)、世田介一は絃映社の流れをもつエド・プロダクツからともえ・えがら、異喜域、にちげつクラブなどを創刊。
1981年(昭和56年)9月15日、通算19号。大共社の住所が「新宿区戸山3-21-1東恵ビル」に変更。
1982年(昭和57年)5月15日、通算23号。編集後記に藤尾高志が「山谷秋人が交通事故にあったために代わりに書いている」とある。山口椿や谷貫太が寄稿。
1982年(昭和57年)7月20日、通算24号。発行所が大共社から有限会社 大共出版に変更。「荒川也寸志が再び執筆。天野哲夫も執筆。住所は新宿区戸山のまま。広告に「荒川也寸志写真集『ともこ 妖しさの彩り』(たざわ書房[注 1])」、「Spiral」(近代書房)が出ている。
1982年(昭和57年)12月、通算27号、浦戸宏が執筆。「大共出版のビデオの予約」広告[注 2]が出ている。
1983年(昭和58年)、通算28号、大共出版製作のビデオの広告[注 3]。代理店として「(有)近畿出版販売ビデオ係」
1983年(昭和58年)、通算29号、休刊。
1983年(昭和58年)2月15日、世田介一が群雄新社から『SMミラージュ』を創刊。
1983年(昭和58年)、山谷秋人がDAIKYO PROから愉芽倶楽部を発刊。
1986年(昭和61年)、山谷秋人により復刊スペシャリーSMが創刊。
エピソード
- 『別冊スペシャリーS&M 群浣 創刊第1集 美囚四性隷女、淫虐秘録写真集』1982年(昭和57年)
- 『スペシャリーS&M 特別臨時増刊第10号』