寿座

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概要

別名

所在地

本所相生町5丁目(現在の緑一丁目)

歴史

1889年(明治22年)、歌舞伎座でオープンしたこの頃の公認劇場は、大劇場が歌舞伎座明治座、深野座(新富座)、市村座春木座鳥越座で小劇場は浅草常盤座、下谷柳盛座、中州真砂座、浅草宮戸座、本所寿座、神田三崎座、赤坂演技座、駒形浅草座、四谷瓢座、根岸栄座、下谷開盛座、深川深川座だった。

1891年(明治24年)6月10日、伊藤晴雨が母に連れられて(両親という記載も)初めて本所寿座に芝居を見に行く。30分ほど続く『吉田御殿、招く振袖』の責め場竹尾の責め場が強く印象に残る[1]

1892年(明治25年)、廃座。

1898年(明治31年)、小芝居劇場として再び開座[2]

1908年(明治41年)10月5日、出火して全焼[3]

1945年(昭和20年)3月10日、空襲により焼失。

エピソード

  • 座主を三浦小次郎。定紋は丸の中に三ツ引きの櫓紋。座頭格が市川九蔵后之(後の市川団蔵)。中村伝九郎、岩井松之助、沢村清十郎(後の沢村源之助)、
  • 芥川龍之介の「追憶」や「本所両国」にも登場

引用文献

  1. 幻の責め絵師 伊藤晴雨』芸術新潮 1995年(平成7年)4月号, 新潮社
  2. 芥川龍之介や三島由紀夫も感動!?芝居小屋 本所寿座跡。。。
  3. 明治演劇年表

注釈

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